小説 マイ・ファミリー 第二巻 「年上の人」 終編 4
「年上の人」 終編4 はじめに 作者の私 上瀧勇哲の紹介
私の名前は上瀧勇哲、九州北部にある百万都市、北九州市小倉守恒で生まれ、三郎丸で育った。
その上瀧名は(じょうたき)と読むのだが、佐賀県佐賀市から続く大和町、小城市に多く、地名では、ありふれた名として現存する。その読み名はカミタキ、ウエタキ、コウタキ他、色々な読み名は他にも多くあるがベースは同じ。その私のルーツ探しを平成の初期に始めたが私の先祖は小城市。
母方の牛島家は佐賀市から始まる武家と商人で集合され、県外の福岡県を、またいだ筑前から東京まであり、直接のご本家は佐賀県神崎にある。この辺のところは本誌に紹介しているのだが、ホームページを開くと詳しく紹介している。
さて今度は、高専から勤め始めた会社が北九州市若松区の吉田印刷KKで、その街で出会えた、お姉さんのような「年上の人」を紹介している。
学生から社会人になったばかりの若者(私)は、公害都市、北九州市若松のド真ん中の会社で、たくさんの先輩、師匠、釣り仲間を多く作ったが、それは男性ばかり。20才になった私が始めて女性に興味を抱いたのが年上の人、中野まゆみさんだった。女ギライで無口な私を、なぜかしら女性のハートを知るキッカケになった方は沖縄から来た素敵な方だった。そのストーリーを前編1で紹介し続編2.続編3.そして、この度が最終稿4.になります。
小説マイファミリー、第一巻は「竜神伝説と初恋」16Pで紹介しました。この小説も私が生まれた小倉守恒を舞台にした幼い頃の出来事を書いた伝記です。
そして「年上の人」終編4となりますが、全てが私の過去の記録として残しておきたかった内容です。その上で「年上の人」は平成3年に書き上げたものを2022.1に再校し紹介しています。
前号までの、あらすじは
登場人物
◎私、上瀧勇哲が、初めて会社に勤め始めた昭和43年~46年までのストーリー。通勤から始まった会社の出来事、職場の上司に先輩、若松の町並み、景観、その中で出会った人々とのコミュニケーション。そして私の心を躍らせた一人の女性。その結末を紹介するドラマ。
◎中野まゆみ 年上の人・主人公
中野 弘 中野まゆみ、弟、大学生
◎池田さゆり 吉田印刷所の事務員(マドンナ)
◎石橋のおじいちゃん 吉田印刷所の管理人
◎石橋のおばあちゃん (空閑課長の義祖母)
◎芳野病院の院長
◎その院長夫人
◎真浄幸子 会社近くの駄菓子屋の女将
真浄の姉妹、長女洋子、次女真美、三女美香
◎吉田印刷所の社員
空閑敏明 平版印刷機械課の課長
萩原金安 大先輩
中西悦二 三階、平版製版の先輩
有門 博 工場長
宮村博敏 二階、活版製版課の課長
吉田正人 社長
柚木洋一 専務
藤崎好夫 二階、活字鋳造主任
前編から 続編 3 までのストーリー
①序奏。昭和43年の早春、私の家から吉田印刷所に勤める。 19才の私
②通勤が始まる日、 昭和43年~45年
北九州市小倉三萩野から通勤が始まり、通勤途中で出会う人々、そして吉田印刷所の工場とは
③年上の人。若戸大橋橋台上で、出会う年上の人。
寂しそうな、その人を想う心が、更に増してゆくとき 昭和45年、冬~4月
④初夏の想い出、若戸大橋橋台バス停の出会いから小倉井筒屋デパートに、買い物に誘われて。
昭和45年4月
⑤事務所のマドンナ、池田さんの冷やかし、
印刷物を芳野病院に届けたとき、受付の年上の人、中野さんとの出会い 昭和45年5月
⑥若松明治町銀天街で年上の人から声をかけられ赤提灯に食事に誘われた。昭和45年6月
⑦二度目のデートは映画と丸柏デパートのハンバーグ定食 昭和45年6月
⑧若松橋台上で出会った年上の人と小倉魚町銀天街と小倉城公園のデート 昭和45年6月末
⑨年上の人と四度目のデートは小倉祇園祭と、小倉城公園 昭和45年7月18日
⑩弟、弘くんからのプレゼント 昭和45年7月
⑪高塔山のハイキングと若松商店街の藪のそば 昭和45年8月上旬
⑫沖縄からのプレゼントと、会社の沖縄旅行 昭和45年9月~11月
⑬会社の新年会帰りに出会った、年上の人と喫茶店「レオ」 昭和45年12月~46年1月
⑭年上の人と恵比寿祭りは、福くじ一等賞 昭和45年9月~11月
⑮弘くんからのプレゼントとインフルエンザ 昭和46年3月
⑯年上の人と遊べた若松、ひびき灘の潮干狩り 昭和46年4月
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この頃の早朝は日の出が早く、朝6時に家を出ると薄明るくなり、6時58分、三萩野バス停から乗る若松行きの準急バスが来る頃には太陽が眩しいぐらい。暑くも寒くもない季節に、通勤の早足が凄く軽く、今日は家から19分で三萩野バス停に着いた。
その三萩野バス停そばにあるトラ屋のパンは有名で、1コ10円売りが人気の店。
ときどきオヤツ代わりに10コほど買う。
アンコとカレー、ドーナツ型の3種類しかないのだが、アゲパンのカラーッとした味付けが良く、しかも、二代目のおじさんが引退し、今、三人姉妹が店を切り盛りしている人気のお店。私と同世代の長女が出来上がったパンに砂糖をまぶしていたり、次女の女の子は目が大きく、まだ高校生。
朝4時から仕込みがあるとかで奥様と長女、おじいちゃんが頑張っている事をテレビニュースで報道され、今、凄く人気がある店。それで朝6時30分には店が開いているので、早めに家を出てトラ屋のアンパン10コとカレーパン10コを購入して200円支払った。
すると、お姉さんがこれオマケ、とかでドーナツ3ッも追加して袋に入れてくれた。
温かくてホカホカなのだが、すぐにバスに乗るので、食べずに小さなカバンに入れ、いつものように朝寝できるぐらいの35分間、バスの中。
若松橋台上にバスが止まり、たった一人、私だけ降りる。定期券があるので簡単に乗り降りできるバス通勤は便利。しかし、ちょっと早いぐらいに、会社に着くので、いつも真浄で寄り道してしまう。
しかし今日は、温かいパンを買っていたので、早く会社に入ると、いつものように石橋じいちゃんが新聞を読みながら「おはよう」と声をかけてくれる。もちろん私も「おはようございます」
2階の事務所前にあるタイムカードを打つと7時41分。
すぐに3階のロッカー室で作業着に着替え、石橋のおばあちゃんの所に行き、温かいアンパン2コ、カレーパン2コをプレゼントすると、「ジョーさん、ありがとう」とか言ってくれる。
石橋のおばあちゃんは、孫のように可愛がってくれ、すぐに温かいお茶を入れてくれるが、これが一番茶で、凄く香りがイイ。
まだ事務所のマドンナが来てなかったので早めにゴクンして、ここから去った。今日は残業日と分かっているので、機械場で仕事始めの準備などしていると、製本場、断裁機を使っている福田さんがやって来て、すぐに四六全判の全紙をB3に切り、山積みにしてくれる。その紙を私が受け取り、機械にセットして印刷が始まるのだが、始業が午前8時15分と決まっているので、それまでは機械を回さないルールがある。
それで新しい機械の機長となっている私は、各部分の駆動ヶ所にシッカリ油刺し、スムーズな回転、動きが出来るような前準備。それに今日、印刷する舟券は特別な色なので、金赤、黄色、墨の3色を使い、赤茶色の色を作る。
色見本があるので3色のインキで、それぞれ計量機で計り、墨が15g。金赤が35g。黄色が1㎏で混ぜ合わせ、見本のような色が出来るが、少し墨が弱いナァーと感じたら、プラス3g加えて混ぜ込み、アート紙の切れ端で、少し紙の上にインキを乗せ、指でペタペタしながらインキを伸ばしてゆくと、印刷機械で刷る、同じような色合いを見る事ができる。ちなみに、私達が使っている印刷インキは全て油性。水性インキは印刷所では使われない。
空閑課長から、「見本通りの色を作りきると一人前」と言われるが、これが中々難しい。それでも機長となった私は、その色を出し、機械のインキツボに入れて300枚ほど仮印刷して見る。ついでに、版のヨレとか文字、デザインの最終チェックを課長に見せる、これが校正刷り。
空閑課長が「上瀧、5%ぐらいインキを濃くして、印刷OK」をもらったので、印刷スタートが午前9時過ぎになった。
スイス製の印刷機械パールはA半才判(A2)サイズの紙が印刷されるが、今日はB3サイズの和紙を薄くした艶のある紙で、意外と紙の流れが悪い紙質で神経を使う。それでも、60分で6000枚の印刷のスピード。本当は1万枚、印刷できるパワーがあるのだが、これが紙の条件とか見当、精度に影響するのだ。それでコピー紙のような上質紙なら9500枚のスピードで印刷できる機械なのだ。
機械を上手に使いきるのも技術で、いかにイイ品質というか、印刷が出来るか、個人差がついてしまう機長のスキル。
隣りで機械を廻している三菱工業のダイヤという印刷機では、A全のカラー印刷を中原先輩と木村のペアーで印刷している。
カラーは4色。紅、黄、藍、黒のPS版があり、単色機械では4度印刷する事になるが、吉田印刷所には2色機しかないので、最初は墨と紅を印刷し、次に黄と藍を印刷して、始めてカラーとなる。これは見当合わせが難しく、紙の質とか、紙の伸び、印刷機械の見当精度によって中々奇麗なカラー印刷ができない。この時代、新聞社で印刷する5色、輪転機で印刷されたものが表紙を飾っているが、色が二重になったり、ズレて、いるのが当たり前のように販売されている。まだまだ手作業の多い印刷はアナログ、昭和なのだ。
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昼休み、誰もいない機械場の私の机で昼寝をしていたら、私の背中をコツコツ指で押すので、誰かと想ったら。マドンナだった。ニコニコしていて「食事終わったの?」
私 「ア、ウン、それで昼寝」
マドンナ「お昼を石橋さんと食べていたら、今日、貴方から頂いたアゲパン頂いたの、美味しかった。どこで買ったの?」
私 「ア、小倉」
マドンナ「そうなの、いつも買うの」 「ときどき」
マドンナ「少しお話しがあるの、隣りに座ってイイ」 そして以外な話しを聞いた。
「あのね、芳野病院の中野さん、好きな人がいてね、その方、今、東京なのね」
「一緒に沖縄から上京してから、彼は東京大学の4年で、来年は故郷の沖縄に入社が内定しているそうなの、知ってる?」
私 「イイエ、何も」
マドンナ「そう、ならイイけど。でもね、その彼が今、入院しているそうなの。詳しくは教えてくれなかったけど、沖縄の名護高校からズーッと同級生で幼馴染と聞いたわ」
「それで中野さん、凄く悩んでいるのよ、分かる」
私 「ア、そうですか知らなかった」
イイ話しでないから、中野さんから、「この話しを、ジョーさんには内緒にしてね」と、言われていたの、でも、かなり重い病気なので知っていた方がイイと想って貴方に言ったの。
マドンナ「私が今、話した事、中野さんには言わないでね、ジョーさんは、ジョーさんだから、これまでどうり、弟のように可愛がってもらいなさい」「分かりましたか」とマドンナ。
私、少し気落ちして「そうですか」で、この話しは終わり、マドンナが足早で行ってしまった。
その事で、私の心の中は、かなり複雑。色々と想い巡らしても、中野さんのイメージから、結びつけても、一つも、その話しが結びつかない。
ただ、あの年上の人に「好きな人が東京にいたんだ」ということが、頭の中に、こびりついて、チョット離れない。でも、これが本当なら、私は?。
でも、年上の人の笑顔がボーッと浮かんできて、元気が出てくる。
仕事にも張りができ、ガンバレているので、この話しは無かったことにして、仕事に夢中になろう。
そう想ったら、始業のサイレンが鳴った。
すると、一斉に活版機械がゴゥゴゥと鳴り響き、私も敗けてられない、機械を廻し始めた。
空閑課長が来て「調子はどうか、いつごろ今の仕事が終わるか。その後の予定を入れるので、後で教えてくれ」と言って、中原先輩の機械に行った。
そして、会社の玄関前では、柚木専務が、昼からの納品を各営業マンに印刷物を振り分けさせながら、大声で「松野くんは読売新聞の納品書わすれているゾ」とか、良く聞こえる。
しかし、機械場に来ると、一転して口調が柔らかくなり、私の所に来て「ジョーさん、来週は3階の製版に、大洋デパートのDMが入るので、3日間ほど応援に行ってくれんか。空閑さんにはオレの方から言っとくので」と、肩をポンとたたいて「頼むなァー」とかで、今度は製本場の吉永、白石さんを呼びつけ、明日、紙の入庫が多く入るのでスペースを作っておいてクレ、などなど。
あっちこっちで、指示してまわる柚木専務。
私は、今日は仕事のキリをつけたかったので、7時まで自己申告の残業。
それで、いつもの若松橋台エレベーターに10円入れて、ガチャンすると、それを見ていた公団のおじさんが、すぐにエレベーターを乗せてくれたので「こんばんは」の挨拶。
すると「若い人はイイナァー、貴方は、ようガンバッとる。吉田印刷所に勤めているヤロー」
「ア、ハイ」で、屋上にエレベーターが着き、急いで30段の階段を一気に掛け上がると、橋の上は涼しい風が吹き、心地良い。
すると、遊歩道の100m先に、あの年上の人がいた。
なぜか寂しく海を眺めていた様子だったが、そんな様子を見るだけにしていると、すぐに小倉、浅野行きのバスが来たので乗った。バスの中から年上の人の姿を最初から最後まで見ていたが、彼女はズーッと海だけを見ていた。
今年も暑い夏がやって来た。長雨の梅雨が続き、やっと終わり、カンカン照りの日々が続く毎日。それでも会社には毎日出勤し、忙しい仕事が待っている。
早朝、7時40分に会社に来ると、大型トラックが大量の紙を積んで私達を待っていた。北九州市が毎月二度、発行している市政だよりの紙が、熊本県の十条製紙工場から直接運ばれてくる。
本当は、フォークリフトで積み荷を降ろせば早いのだが、会社にはフォークリフトがない。それで、À全判の紙が入庫すると、機械場と製本場の若者が駆り出され、大型トラックからコンテナボックスに、上手に2mほど高さに積み上げる。
コンテナボックスに積んだ紙は製本場から機械場の空いたスペースに押し込んで保管するのだが、これが19台もある。
中質紙で、キッチリ保管してないと、印刷とき、シワがでる、ときもあるので、出来るだけ紙にクセをつけないよう、平タンにし、積み上げたものを、製本場の藤島くんが、500枚単位にワンプで包装したものをワンプごと、両サイド(上、下)を切り、再びコンテナボックスに積み上げ、それを油圧式のキャリーカーで浮かせて運ぶ作業を彼が責任もってする。そして私達がA全判の大きな紙を、そのまま整え機械に積み上げる準備をしている間に、深夜作業をしていた、3階製版の中西先輩がPS版の小倉南区版と、八幡東区版を持って来た。
それを両面機械にセットし、100枚ほど試し刷りし、インキの調整とか位置決めを行い、良いものを1枚、空閑課長が校正。2枚目を2階の事務所、有門工場長にも再校正してもらう。文字が欠けてないか、違っていないかをチェックする為で、10分ほど待っていたら、工場長がOKの指示。空閑課長が「上瀧、もう少し濃く印刷してくれ」とかの指示があり、印刷スタートが午前9時ちょうど。
新聞は一度に印刷でき、刷り上がったものを、そのままの状態で1万枚を製本場の藤島くんが取りに来て、半分に切るとA2判になり、それを若い女の子達が、折り機に3000枚ほど積み上げ、4つ折りしながら自動的に半分に切ったものが、新聞輪転機のように100枚単位で出てくる。それを各地域ごとに、配達しやすいように区分けされ、梱包され営業マンの大型ライトバンに積み込み、次々に各地域ごとの運送会社へ配達される。
その事で印刷機械は日中から夜、止まる事なく、ゴゥゴゥ大きな音を立てる。1時間6000枚のスピードで印刷するのだが、製本場の折り機2台が稼働すると、折り機の方が早い。1時間で1.2万~1,5万枚のスピードが出るからだ。
したがって、機械場はサポート役のA2版をパールという機械でも、半分に切り、印刷される単色機で、表を刷り、裏返して、もう一度、印刷されるので、効率が悪いのだが、早く納品する為、市政だよりは毎時3台の機械で2日間の残業で終わる。
ただし、予定外の仕事が入って来ると、単色機のパールとか、ダイヤの印刷機が別の仕事をすると、市政だよりの納期が遅れるので、深夜残業か徹夜の2交代となり、汗ビッショリかいて、みんな必死。もちろん3階の製版部もPS版の版ができるまで3日間、深夜残業があり、こちらも大変。加えて、大洋デパートのチラシが入ったり、丸柏デパートのA全DMが入って来ると、両面4色とか、カラーになってくると、こんな小さな会社では追いつかない。
それで空閑課長が、A2の4色機を入れる相談を柚木専務と交渉中とか。
やっぱり一度にカラー印刷ができると、出来上がりの精度が違うし、色ムラなく、見当も合い凄く欲しいのだが、社長の話しでは、1億円の投資となり、若松信用金庫から借りる事になるので、中々、踏ん切りがつかない経営者。それでも中小企業、厚生年金機構からの割安の融資が得られるとか、色々な選択ができているのだが、いずれも借金経営したくないのがホンネの経営者達。
それで7月に小倉北区の西日本総合展示場で印刷文化展が、㈱南陽堂主催であったので、金、土、日の3日間、必ず行くように、柚木専務から命令された。当然、平日に行きたいのだが、そんなの無理、仕事があるからだ。それで専務が市役所帰りに、その4色機を見て、やっぱり印刷の出来具合とスピード感が違う事を知り1時間で1.2万枚、印刷できる高速機に1億円のハンディを背負い、悩んでいるようだった。
その日の金曜日、残業中に専務がやって来て
「ジョーさん、後で冷たいもの買って皆で飲んどけ」と、私に千円くれた。良くしてくれる専務の自腹なのだ。そのとき、土曜日の昼から西日本総合展示場に、有門さん(工場長)が行くので、お前と空閑課長も一緒に行くように言われた。
次の日、昼弁当、食べる暇なく、すぐにマドンナがやって来て「課長とジョーさん、有門さんが、お呼びです」とかで、事務所に呼ばれた。そこに社長がいて、今から行くように。
「昼飯は展示場で食券4枚準備しているので、今から行ってこい」。
「ハイ、分かりました」とかで
仕事着で営業マンの柚木喜久雄
営業部長のクラウンに乗って出発。有門さんが助手席で、社長のおさがりのトヨタクラウン「乗り心地がイイナァー」とかの話しで、柚木営業部長も「デカすぎて駐車に困るんよねェー」とかの話しを聞きながら、
高級車が西日本総合展示館前に止まり、正面玄関から先に私達が入る。工場長の後ろからついて行くと、南陽堂の社長が迎えてくれ、すぐに係の橋本さんがやって来て「お久しぶりです」とかで、
展示場を2時間ほどかけて案内してくれた。
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その後、橋本さんの案内で、控室で豪華、うな重弁当が4つ、出されると、
「上瀧くん、気にせんで食べなさい」と工場長。そばにいる多くの方々は、みんなスーツ姿の社長さんのような方ばかりで、
黙って、二段重ねのウナ重を一気に食べた。その後、柚木営業部長がやって来て、例の4色機はコニーと言って、小森印刷機械の営業部の方と商談中。
すると、工場長が「1時間ほどここにいるので、空閑くんと上瀧くん、まだ見てない会場に行きなさい」とかで、課長と一緒に、新しい印刷機械展の最新モデルを見る事ができた。
今、私が専用に使っている、パールという機械は、毎時1万枚のスピードが出るが、そのスピードでは見当精度が悪くなり、単色刷りで毎時8500枚が限度という事を課長が良く知っている。もう6年使っているので、こちらも新しいものを考えたいのだが、会社には、そのような余裕がない事を知っている課長。
それでも最新技術は少しずつだが、アナログからデジタルに変わろうとしている事がすぐに分かる印刷文化展。やはり技術革新は、このような所に来て、始めて見て、知る事ができる。
それで課長の溜息が何度も聞けた。
たくさんのパンフレット。4色機で印刷されたものなどや、あっちこっちで頂ける平版製版のカタログをたくさん貰い、後で3階の渡辺課長にヤルつもりをしていたら、あっち、こっちで「吉田印刷所の者ですが」と言うと、
たいがいの会社が知っていて、パンフレットをたくさん貰えた。定刻前に会社に戻り、再び、パールの機械を廻しながら、余裕の中で頂いたパンフレットを機械場用、3階用に分けていると、3階から中西先輩が、版を持って来てくれたので、丁度良かった。展示場で貰ったもので、製版に必要なものを選んで持って行ってもらった。
そのとき先輩が言う、「ジョーさんはイイナァー、オレなんか日曜日に行けと言われているんよねェー」と言い残し仕事、仕事。と凄く分かりやすい先輩で、私の一番好きな先輩。
この日は7時まで残業して終了。
課長は事務所で会議中とかで、黙って7時のタイムカードを押し、外に出ると涼しい風がたくさんあり、夏の今は、まだ太陽があるし、今日は北風があるのでスモッグが少しで、青い空が広がっていた。歩いて200mほどで真浄の店の前で、先ほどまで残業をしていた若い女の子から声をかけられた「ジョーさん、お疲れさま」
「ア、お疲れー」と軽く手を振って、そのまま若戸大橋へ行き、10円入れて、ガチャンと止め棒が廻って中に入れる、その音を聞いたのか、すぐに公団のおじさんがやって来て、エレベーターに乗せてくれる二人っきりの15秒の世界で、「貴方は、よう残業するなァー」
「うちの息子は毎日、定時で帰って来る」とかの短い話しを聞いてバス停に行くと誰もいない。
それよりも、遊歩道を確認。こちらも夏というのに誰も通ってない。車だけ忙しそうに、右、左に走り抜けて、チョット寂しい。
年上の人を気にしている私だったが、最近、言葉を交わした事ないし、いつも居そうな遊歩道、今日も居なかった。すぐに門司行きのバスに乗って帰宅。
ちょうど夕食が皆で出来る時間で、兄弟三人に父母、皆元気で、それぞれに活躍の場があり、次男の哲郎はTOTOに勤め始め、三男は常盤高校で来年は就職。それでも新聞配達を中学校からしているので、奨学金が貰えるとかでガンバッているので、私達家族は今、絶好調。
次の日、いつものように若松行きの、7時前のバスに乗り、7時40分には真浄のおばさんが
「おはよう、ジョーさん」と声をかけてくれた。それで、暑かったので冷たいコーヒー牛乳を一本頂いて、お腹を満たしていたら、次女の真美ちゃんが、可愛い洋服を着て出て来た。
ピンク色のブラウスに赤いミニスカート。エ、と想っていたら、
真美ちゃん「若松高校を卒業して今、日華油脂に行っているの、知らなかったの?」
そうなのか、それで「その服、似合っているよ」と、ちょっとホメたら、大きな瞳がニコッとして、
「今から行くのよ」と、彼女と200m、一緒に歩いた。
吉田印刷所の先に日華油脂があり、ここも若い女の子が多く勤めているので、誰が、どの会社に勤めているのか分からない。それに、女の子は多いのだけれど、男性はみんな40代以上が多くアンバランスで、彼女達は若い男の子を求めているのが、すごく分かる通りでもあるし、ひときわ目立つ女の子のファッションを、ここで覚える私。
で、真美ちゃんとバイバイして会社に入ると、石橋のじいちゃんが玄関前の隅っこで新聞を読んでいる。その新聞は、吉田印刷所が発注しているものだが、読売新聞と朝日新聞、経済新聞の三つもある。社長や専務は経済新聞を好み、後の新聞は仕事の関係で繋がっているので、仕方なしに取っている新聞。石橋のじいちゃんは、サラーッと新聞をめくる事なく読んでは、事務所の小田さんの机に置く事が仕事。
小田さんは、マドンナ池田さんの同級生で、高校は違うが、一緒に会社に入って来たので同級生。
二人とも美人であるが、小田さんは静かで、おっとりして、言葉使いが丁寧で凄く優しい。
上品な家庭に住んでいるのか、と想ったら、母子家庭の一人っ子とかで、皆から大切にされている女性。池田さんが居ないときは、小田さんに、インキとか油、工具などの注文書を彼女に渡すと、それを見て、色んな会社に注文、手配してくれる。
そして今日も1日の仕事が始まる始業前の早朝。
マドンナ池田さんがやって来て「チョットお話しがあるんだけどイイ」
私 「ア、ハイ」
池田さん「ここでは話せないので、石橋さんの所に来て」
「ア、ハイ」と、彼女の後について行く。歩きが早足なので、意外とスラーッとした女性の後姿をマジマジ見ながら100mほど歩く、広い会社の中。
急に振り向いて「ジョーさん」と、しかめっ面して、チョット怒ったようなそぶりを見せる。
私は何もないのだが、と一瞬そう想ったら、次の話しがショック。
「芳野病院の中野さんね、辞表出したそうなの、分かる。そう、病院やめて沖縄に帰るそうなの、知っている?」
私 「イエ、何も知りません」
マドンナ「そうなのね、最近、病院に納品書持って行くのだけど、話ししないの。凄く変なんだけど、心配事、悩んでいる事、感じるのよ。貴方、最近会ってないでしょう」
私 「ハイ、良く若戸大橋の遊歩道に居たんですけど、最近、見かけなくなりました」
マドンナ「やっぱり悩んでいるみたいね。もし彼女と会ったら元気つけあげてね。ハイおしまい」
私にも心に引っ掛かるものがあって、少しは気にしているつもり。でも、中野さんは年上の人。私と結婚する相手でもないし、中野さんには第一、好きな方がいる。そう想うと、先ほどの池田のお姉さんのように深刻に考えるほどでもない。
ましては、ここは会社。仕事がたくさん待っている。その事を考えたら慌てて機械の準備を始めた。
男は仕事。それにヤリ甲斐があり、今、会社も大変な時期にあると考えているので少しでも、それに沿えるよう必死で仕事をする。それが男で責任がある、と、考えながら、黙って仕事に励む私。
昨日、出来上がった印刷物を製本の女の子が「コレとコレ持って行ってイイですか」 「イイよ」
私 「この印刷物は、もう一色刷るので置いといてね」「ア、この伝票、藤島くんに渡して、紙切ってくれるよう言って」とかで、
朝は仕事が色々あって忙しい。
課長は朝9時まで会議中で、仕事の入り、納品、原稿のやり取りで忙しい。
三階の渡辺、二階の宮村、一階の空閑、保理、製本の山本、それぞれの課長に営業部長の柚木と工場長の有門さんが毎朝、仕事の内分け、分析、会議。そのとき柚木営業部長が必ず皆に、〇〇会社からクレームがあった事など話し「二度とないように」とかの話しがあり、
工場長が、その場を丸く納めるとかの話しを、三階の渡辺課長から良く聞く。
私の直接の上司、空閑課長は、あまりそのようなイヤ事を言わない。一人で印刷機械場のコミュニケーションを取るので、皆からの信頼が厚い。だから私など伸び伸び仕事ができる。それにプラスして、柚木専務は長男で、次男の柚木喜久雄営業部長は神経質でワガママ。
柚木専務は人を優しく上手に使う人で、気配りができ、人なつこい。ある意味、太ッパラで、私を凄く可愛がってくれるので、凄く好きなタイプ。私も、あのような立場の人間になりたい。
そう想いつつも、資本主義社会の中で経営者は上手にお金を廻し、社員にどのぐらい給料が配分されるかがイイ会社で、その点、吉田印刷所の社長は、若松ロータリーライオンズクラブの会長にもなった事があるし、北九州商工会議所の副会長の肩書もあるので、凄くエライ社長と、私は想っている。又、そのようなイイ会社に勤めていると、他人様が「ジョーさんはイイ会社に入ってイイわねェー」とかの話しが良くある。それで私は、今は仕事一筋なのだ。
本当の結婚するような彼女は、まだいない。そう想って毎日、毎日、通勤に励んでいるのだ。
暑い盛夏が続く毎日、今年は特に暑いと会社の人々。それで、社長が会社に水冷式のエアコンを入れる決断をした。4色機械の購入を諦め、会社の福利厚生という資金調達が上手に出来たことで、来年から工事をするので、会社の模様替えというか、大型エアコンを入れるスペースを作る作業を、仕事の暇な夏にするよう、訓示を得た。
それで、エアコンを何処に設置とか、1、2、3階の各部所の、皆の意見を聞くのが、課長の役割。それに沿って、ダイキンの営業マンが設計図を描き、機械の配置換えとか、簡単な軽作業で済ませる工夫を私達は行った。
加えて、暖房施設があるボイラーを担当している、石橋のじいちゃんのサポート役に、会社の鋳造などしている森さんが抜擢され、こちらも築20年の暖房施設の総点検など始まり、会社の中は、てんやわんや。その中で仕事をする私達。社長の英断でもあったが、チョット残念。期待していた4色機を使いたかった私。
しかし、借入資金の供給と、若松信用金庫が渋った、と、後で聞いた。
会社のバブルも、今は最後期にあり、仕事量も増えているし、より密な仕事も多くなっている。
それに最近は、両面4色の大洋デパートのDMがB2判の4色カラー、裏1色になり、2色機を使っている竜野さんに荒木さん、中原、空閑課長チームは、毎日二交代で頑張っているので、少しでも、それをカバーする為、最近は平版印刷機械課で仕事を主にしている私。
そして8月の社長の訓示で私は主任となった。しかも給料が皆以上に上がったようで、それを知っているマドンナが「ジョーさん、おめでとう、良かったね。もう一人前よ貴方は」とか言ってくれる。
石橋のじいちゃん、ばあちゃんから私の事、ホメてくれるし、「若いのに、ジョーさんは良く頑張っている」と、あまりお世辞を言わない石橋のじいちゃんも、孫を見るように微笑んでくれて、凄く嬉しい。そんな話しをしていたら空閑課長がやって来て「ジョーさん、今度の盆休み用事はあるか」
私 「ありませんけど、ほとんど寝ています」
空閑課長「そんなら、佐賀の実家に招待されているが、魚釣りと合わせ、付き合え。中原と萩原の親父も一緒だ」とかの話しに乗せられ、OKの盆休みの8月12日と13日の2日間、課長の親戚宅にオジャマ虫。
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最近、課長が、やっと運転免許を取り、三菱コロナという1200ccの中古のマイカーを買ったので、運転補助するのが私の目的。
仕事が終わり、そのまま通いの、はまや釣具店でエサの買い物。私は本虫100g、砂ゴカイ100gを購入。
萩原、空閑、中原先輩達は、ウキフカセ釣りでチヌ狙いとかで、マキエを大量に買い、後部のトランクは満タン。そして、そのまま国道3号線に入り、鳥栖から国道34号で佐賀市内の佐賀城がある、すぐそばの家が、空閑さんの妹になる方の家。
あらかじめ準備していた小倉饅頭を渡し「よろしくお願いします」と、おばさんに挨拶したら、
「貴方ね、釣りキチで有名なジョーさんは」
「ア、ハイ、少しだけ釣りしますが、いつも師匠のお供の釣りしています」と言ったら、空閑課長が「会社で一番の孝行息子で、将来、期待されているオレの弟子だ」とかで、チョット自慢気に言ってくれる。でも、凄く嬉しい言葉を始めて聞いた。
本当は仕事でメチャクチャ、こき使われているのだが、好かれていると感じ、今日は宴会の酒を少し飲んだら、一気に顔が赤くなり、「無理するなァー、上瀧」と、中原先輩。
それで、おばさんが「サイダー開けてヤルね」と
大きなビン、丸ごと私の前に置いてくれて、酒が入ったコップを、空閑課長が飲み干してくれ、ホイとくれた。そして、おばさんがサイダーを入れてくれた。たくさんなご馳走の中で佐賀名物、フナ寿司が大皿に盛られ、「これが旨いんよ」と萩原の親父。
ここに何度も来ているみたいで、おばさんと仲がイイ。親父も娘のように想い、次々注文を入れる。みんなイイ人ばかりだったが、私は、この人達の酒には付いて行けないので、早めに床に入った。温かいソフトな布団に、香りがイイ女性好みの布団を感じ、ぐっすり熟睡できた。
すると、朝早くから萩原の親父から叩き起こされた。
「上瀧、釣り行くゾー」とかで、
今日は有明海の埋立地がある水門からの釣り。みんなチヌ狙いだ。
私は投げ竿二本に中型リールで、投げ釣りで本虫を大きく付けて70mほど遠投し置き竿釣り。
その中で空閑課長が「ここはドロ底やけ、サビキの引き釣りした方が釣れるゾ」と、アドバイスがあったので、早速、引き釣りを始めると、いきなりガッーンのヒットが、あのムツゴロウの20㎝サイズが釣れた。
「オゥ、オゥ! これが旨いんよ」と、萩原の親父で「たくさん釣ってクレ。今日の夕飯のオカズにするケ」とかで、私の釣りで、ほとんど入れ食い。2本鈎仕掛けに2匹、一度に釣れるから、わずか2時間足らずで60匹もキープできた。
しかし、チヌ狙いの3人は、アタリ無しのボウズ。釣りポイントを変えて大和町方向へ5K進んだ。
やっぱり、水門の釣り場。有明海は潮が引いてしまうと遠浅になり、海水が全く無くなる。一部、残るのは、水門とか河水の流れ込みがある水路だけ。
私は、その水路に50mほど投げて置き竿していると、空閑課長が「昼めし」とかで、竹皮に包んだ大きなオニギリが3つも入った弁当をくれた。オニギリの隣りに、昨夜の残り物のシャケとか、タカナの漬物。タクワンに、玉子焼きが入り、豪華で美味しい。持って来た水筒は、麦茶をたくさん入れてくれた、おばさんに感謝して、ゴクン、ゴクン飲んで、腹イッパイ。
もう釣りなど、どうでも良い感じになっていたころ、置き竿に大アタリ。もう少しで海に落ちそうになった竿を握ってポンピングすると、でっかいスズキが釣れた。萩原の親父の40㎝クーラーに入りきれない大きさ。空閑課長が「後で魚拓してヤル」とかで、
ドンゴロスに入れて、水路につけ、生きたまま。再び、おばさん家に着くと、魚拓用紙の代わりに、障子紙を長く切った紙に魚拓する。
始めて魚にスミを塗り、型どると、よりデカくなり、計測68㎝。
2枚取って、「スズキはサシミにしてイイナ」と空閑課長。
「ハイ、お願いします」で、包丁さばきの良い萩原の親父と一緒に、デッカイ、スズキの頭付きのオサシミが出来上がり。
別に、おばさんが注文した出前の寿司。これに私が釣ったムツゴロウのカラアゲがドンドン出てきて、この日も大宴会。おばさんの従弟二人も来て、テンヤワンヤの大騒ぎとなった大人達の世界。
私は、いつものように早めに床に入り熟睡。
次の日は萩原の親父も酔いつぶれて起きない。
しかし、朝げの匂いがプーンとしてきて、私は、みんなより早く起きた。おばさんに「おはようございます」と挨拶したら
「今日は釣りに行かないの?」
「ハァ、分からないですけど、みんな酔いつぶれていますから無理みたいです」とかで、
おばさんに「30分ほど近くを散歩しに行ってイイですか?」
「どうぞ、皆さんが起きてきたら言っときますね」で、佐賀市内の赤い神社と堀、水路を見つめていたら、奇麗な清水に赤や白の、コイやフナが元気良く泳いでいて、観賞用の魚達が放流されている水路と、すぐに分かった。
それに、大きな木がたくさんあり、セミの声が良く聞こえる夏の朝。人通りも少なく、散歩道は車なく、佐賀市内は細い道路がタテ、ヨコ、長く続いている事を知った。
そして、神社そばには散歩の人達が、今、流行りの太極拳をしていたり、少林寺という寺もあったり、この辺の地域は武家屋敷が多く感じられた。あんまりウロウロすると迷子になりそうなので、1時間も散歩して家に戻ると、おばさんが「朝食できていますけど貴方だけ先に食べてね」と言ってくれた。
「まだ寝ている3人は、昨日は深夜3時まで飲んでいたので、昼ぐらいしか起きないのよ」とかだったので、申し訳ない気持ちで「すいません、頂きます」して、
私 「アノー、このお家、おばさんだけでしょうか」
「ハイ、そうです。主人が早く亡くなってね」
おばさん「私、観光タクシーの運転手しているの」
私 「そうなんですか、実は私の祖母も佐賀市の出身で、祖父も神崎から北九州小倉に来て、私が生まれたのです。それで、佐賀市に凄く興味があるのですが、まだ一度も親戚の方、知らないのです」
おばさん「そうなの、だったら祖父の方のお名前は?」「牛島栄六で、祖母はチヨと申します」
おばさん「私は観光タクシーで佐賀市を、お客様を案内しているのです、その中で市内に牛島家という観光名所があるの、知ってる?」
私 「知りませんけど」
おばさん「牛島家はね、昔、佐賀でも評判の大商家で鍋島藩に仕えた武士の方も多くいらっしゃいます。それで、牛島という名前は特に佐賀市に多く、神崎とか大和町でも多いのですよ」「それで、お墓は何処にあるの?」
私 「ハァ、母から神崎の実家そばの、禅宗寺に大きな牛島の石墓があるという事を聞いています。それで、そこに祖父の親戚人が多くいるそうなのです。まだ行った事ないのですけど」
おばさん「おおよそ分かるわ、貴方の話し。でも一度、市内の牛島家という歴史資料館に行く事をお勧めします。そのときは私に電話してくれる、案内します。お仕事ですから」
私 「ありがとうございます。何か凄く親しみやすく、イイ街です。おばさんみたいな方がたくさん居そうで」
そのような会話をしながら、フナ寿司が入った、ご飯をお代わりして、手作りの野菜に、目玉焼き。一番美味しかった白味噌汁にトウフが大きく、たくさん入っているもの。これも2ハイお代わりした。その事を凄く喜んでくれたおばさん。子供が居るのか、いないか分からないが、それでも、ハッキリ物事を伝えてくれて話しやすい人。
今日、帰る予定だったので「すいません、ありがとうございました」と、お礼を言っていたら、空閑課長が起きてきて「上瀧、早いやないかァー」とか言う。
すかさず、おばさんが「もう10時を過ぎてるのよ」「オゥ、そうだったか。オレ、二日酔いしとるので、帰りは運転してくれ」とかで、車のカギをくれた。一足先にマイカーの中を掃除し、帰り支度。
クーラーの中は3人ともカラッポだったので、奇麗に水洗いし、釣り具を整理し、いつでも帰れる準備が出来たので、もう一度、散歩してみた。暑い日中だが、散歩道には水路があり、魚達が元気に泳ぐ。
メダカも、アメンボもいて、賑やかしいキラキラ光った水路。
それに、大きな木が高くあるが、奇麗に整備されていて日影がやたらと出来ている。太陽が上にあり、ときより、その光が木の影から私の顔に当たり、眩しい。
それでも少しの風があり、佐賀市内は、やはり城下町。のんびり過ごせるところで、祖父や祖母の顔が、なぜか浮かんできて、久しぶりにお墓参りする決心をしていた。
⑳ 若戸大橋 遊歩道の白い靴。
昭和46年8月中旬

8月16日からの出社日、いつものように仕事を済ませ、定時で帰れると想ったら、急な仕事が入り、「ジョーさん、すまんけど、明日納品のチラシ、今日中に頼むなァー」と、早々に柚木専務が言って来た。「分かりました。課長と相談して今日中に印刷しときます」と私。
それで5時過ぎに版を持って来た中西先輩。慌てて版焼いたので、チェックして印刷して、とか。
今日は3階の製版は9時まで残業と言ってたので、丸柏デパートのチラシ9000枚をスタート。
両面刷りで、18000枚、機械で刷る事なので、9時過ぎまでの残業と分かる。それで今日は機械場は私だけの残業。
空閑課長は腰が悪いので早めに整骨院に行く事で帰り、広い1階の工場は私だけ。この方が静かで気ずかいしないで落ち着いて仕事ができる。次の裏面のインキを作っていたとき、
残業していた事務所のマドンナが慌てて、
「ジョーさん、中野さんが遺書を残して、何処かに消えたの。今、芳野病院の寮生から院長先生に電話が入り、何処か心当たりない、かと電話があったの」
私、とっさに若戸大橋を想いだし、機械を止めた。
池田さんに「若戸大橋遊歩道に絶対います」と言って、すぐに会社を飛び出した。
「絶対、あそこしかない」
800m走り、はぁーはァー。
若松橋台エレベーターに急いで乗る為、公団のおじさんに「緊急です、早くエレベーターに乗せて下さい」と言った。
顔なじみの私が言ったので「どうしたのかね」「イエ、イエ、早く、早く」
もう、そわそわしている私。
手に赤インキが付いている作業着姿の私を見て、いつもの私でないことを知った公団のおじさん。改めて「どうしたん?」
「ハァ……」と溜め息をつくと、最上階に止まったエレベーターを降り、30段の石段を一気に駆け上り、すぐに遊歩道を見た。
200~300m先に、白い洋服を着た女性がいた。
絶対、中野さんだ、と想い込んで一気に走った。
すると、私に気付いたのか、目を伏せて座り込んだ女性。あの中野さんだった。
白い靴を揃えて置き、素足だった。
もう、黙って彼女を見るだけにし、立っている僕がいた。
顔を両手で伏せ小さく、小さく、泣いている女性。
私は中野さんが次の行動をするか、しないか、シッカリ見つめているだけ。
5分、10分、たっても、そのまま立ちつくす僕。
彼女の涙が頬をたらし、静かに小さく泣いているのが分かる。
それを確かめている私も、なぜか涙が出てきて、黙っている僕、そして彼女がいた。
その上で絶対、飛び降りたりさせないゾ、と、強い心の、僕がいる。
そして、彼女の白い靴を足元に置いた僕。
それが分かっているように、何か私に言っているが、言葉が聞こえない。
でも、聞いている事で、少し安心する私。
でも、声を出すことはできない。
彼女が今、何を想い、何を考え、何をしようしているのか、わかっている僕。
頭の中で中野さんの想いを少しでも安らげる言葉が出ない。
考えても考えても、優しいお姉さんが膝を崩し、静かに泣いている。
その、そばで立っているだけの僕。
そして僕がいる事で、何もできてない。
イヤ、したらいけないのだ。
絶対に、させないゾ、と、強い気持ちで中野さんの前で立ち止まっている僕。
彼女の、そばに置いてやった白い靴を、履くまで私はズーッと見守るつもり。
しかし、座り込んだ、年上の人の、涙は止まらない。
ときどき身体を震わせたり、私に見せたくないように、顔をそらす。
愛らしい、このような女性を泣かすヤツの顔が見たいと、今度は彼女の恋人、好きな人の男を凄く憎くなり、悔しさが込み上がってくる。
女を泣かすような男では済まされない、もっと悪いヤツだ。
こんなに中野さんが、待ち続けているのに、
一つも、その男の事を知らない、聞けない、勇気のない私。
その上、私にとっては天使のような女性、好いてくれる女性だから、よけいに悔しい。
そして私も何故かしら涙が、次々に出てきては、腕で涙を拭きとる。
何かしてやりたい気持ちがたくさんあるのだが、そんな事、私にできない。
年上の人だから、よけいに。
そして20分が過ぎた。夕日が落ちてしまった若戸大橋の景観。
ときよりマイカーのヘッドライトが通り過ぎてゆくとき、何か、あったのか、のようにスピードを落としてゆくので、私は年上の人のそばに座り、落ち着きを取り戻すよう願いながら、ジーッと後方から彼女の清楚な髪を見つめているだけ。
これで、マイカーがドンドン過ぎ去るようになり、良かった。
後は、どうしていいか分からない。声をかけたくても、今は絶対無理。
そう想っていると、若松橋台の方から3人の人が慌ててやって来た。
院長先生と奥様、そして同じ寮に住む若い女性。
みんなが来たので、私は立ち上がって5歩ほど間を開けた。
すると、院長の奥様が、後ろから彼女を支えるようにして
「中野さん、シッカリしてね、大丈夫」と、
ソーッと後ろから抱きしめるようになっていて、いつの間にか年上の人が、奥様の胸に顔をうずめて泣いた。大きく泣いた。
寮で一緒の看護師が、中野さんに白い靴をはかせたので、もう安心、と想って、院長先生に軽く会釈し、何も言わずに会社に戻った。
そのような事があったので、仕事が長引き11時に終わった。
一人だけの更衣室、仕事が無事終わった安堵感と、先ほどあった年上の人との、まさかの出来事、頭の中で、私なりに考え、なぜあのような事になったか、を自問自答しながら、いつの間にか通勤着に着替えボーっとしている僕。
うす暗い事務所前のタイムカードを押し、黙って石橋さんが出入りする小さな門から会社を出た。
冷たい風があり、夜空を見上げると久しぶりに星空が見えた。
静かな、いつもどうりの帰り道、街灯だけが通り道を薄暗く照らし、誰もいない一人ぽっちの私を迎えてくれたのが、いつも利用する橋台エレベーターのおじさんだった。
先ほどの公団職員が小さな声で「大変でしたね、貴方は命の恩人ですよ」とか言われて、あの時の事をもう一度振り返り、気ずいた。
「慌てていて、すいません10円入れなくて」と、10円を差し出すと、
「いいんだよ」とか言って、受け取ってくれなかった。
そして最終便の西鉄バスを待つとき、今日の夜空をもう一度見上げ、なぜかしら涙が出てきて、目頭から熱くなる僕がいた。
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何度も何度も中野まゆみさんの事を想い出し、涙が止まらない私。
今、人気歌手No.1の坂本九さんの歌が、そのまま歌える歌詞、
「見上げてごらん夜の星を、小さな星を」頭の中で描いていると再び、
年上の人の笑顔が私に問いかけてくれる優しい妄想。
その想いを物色するかのようにバスが来た、一人だけの寂しいバス。
今日の私は変、身体がくたくたになって、家路の早足がゆっくり歩いている僕、頭の中は、まだ中野さんの事を考え、ボーッとしている私がいた。
8月のテレビニュースは、日本が始めた太平洋戦争の経緯などを含めた、戦争の悲惨さを紹介する番組が多く報道され、NHKの特集番組では、朝鮮半島から中国に関わる、日本人の移民から始まり、遠くシンガポールに進行してゆく日本陸軍の戦い。
世界を巻き込んでゆくドイツとイタリア、そして同盟国となった日本が、どのような結果になってゆく過程は、アメリカとの戦争の激しさが中心にあり、中でも沖縄市民を巻き込んだ、日本人の有り様を、事細かく紹介され、私が作ったプラモデル戦艦大和の運命から、九州から飛び立って行く特攻機、ゼロ戦をイメージした海軍の飛行機に乗り込んでゆく若者。
海軍特別特攻隊の悲しみ、そして、もっと激しかった沖縄での戦いがイヤというほどモノクロフイルムから、その激しさを教えてくれ、残念な人間という欲望の結末を最後まで暴き出し、広島、長崎の原爆で締め切ってくれるストーリーを何度となく映像でアピールしている。
その沖縄が今、戦後の復興の象徴になり、アメリカから日本に返還され、今、沖縄観光が過熱し、私達は昨年、会社の慰安旅行で沖縄に行った。
その沖縄の人、中野まゆみさん、年上の人と、このような形で触れ合えている事を複雑な気持ちで想い起こしている私なのだが、テレビという映像の中では、沖縄の観光が過熱を帯び、今年は数百万人の方達が遊びに来てくれ、ホテルや、観光施設がドンドン復興の後押しをしている事に、その繁栄をより多く知り、戦争という過ぎ去った歴史を今、捨て去ろうとしている国民性が浮き彫りにされている。それでも私達は素直に受け止め、沖縄の人々の苦しみを助けてやれるのは、こんな事でしかないのだ、と自分勝手に想い、今の社会がそうさせている現実に違和感を感じる。
私が始めて好きになった年上の人、沖縄から来た中野まゆみさんが、まさか、このような事になり、何もしてあげられない。
その好きな人の、心の奥底を知るなど、とんでもない。
人間って複雑な生き物で、正直に生きていけないのかも知れない。
でも私は違う。真っ直ぐ正直に話せることをし、隠し事など一切ない。
だから、よけいに中野さんの本当の心を感じてなかった、私は何も分かってない子供。
人の想い、私の想い、そして女性という未知な、まだ何も知らない私には、どう接してゆけば良いのかも、できてないまだ子供。
大人であっても考え方は子供、そう想いながら毎日の会社勤めを果たし、仕事に一生懸命夢中になれる気持ちを、少しずつ切り替えている自分になっていた。
あれから一週間過ぎた金曜日の朝、いつものように会社のタイムカードを7時40分で打ち、作業着に着替え、先ほど朝の挨拶、石橋のおじいちゃんに「おはようございます」したのだが、いつもの部屋に行くと。その奥で、おばあちゃんが、コホンしていたので、外を見ると、石橋のじいちゃんが大きなゴミ焼却炉で私達が出すゴミを燃やしていた。それで、私も手伝いした。
学校で使っている、同じレンガ作りの焼却炉に、油の付いたウエスや、製本場から持って来た、回収されないゴミを燃やす。
特に機械場から出るガソリン、灯油混じりの真っ黒いウエスを入れると、それが良く燃え、真っ黒い煙を出し、高い煙突から火が出るぐらいになると、ウエスの入れすぎ。
それで、燃えにくい厚くノリの付いた製本場の断桟された残りものを入れると、一気に火の気が下がり、長い鉄の棒を上手に使い、石橋のじいちゃんが汗だくで燃やす。
そんなとき、事務所のマドンナが後から私の背中をチョン、チョンつつく。
小さな声で「ジョーさん、話しがあるのよ、イイ」 「ア、ハイ」
マドンナ「会社に入らない」
すると、いつもの石橋さんのガスコンロ前で大きなヤカンで湯を沸かし、二つの魔法瓶に入れる準備を終え、
マドンナ「ねェ、ジョーさん」と優しい声で、いつものマドンナの様子ではなかった。多分、先日の、あの事かと想った。
マドンナ「ジョーさん、中野さん、沖縄に帰るそうなの、知ってる?」
私 「イエ、何も知りません」
マドンナ「そうなの、その事で貴方とお話しがあるの。今日、定時でしょう。私とデートしない?」「エエーッ」と、 僕と?。
マドンナ「違うのよ、お話しがあるからデートに誘っているの。いつもの明治町商店街の喫茶店レオ、貴方、良く知っているでしょう」
少し間を開け、マドンナがもう一度
「中野さんと良く行ったでしょう、あの喫茶店」
私 「2度しか行ってません」
マドンナ「そう、そこで、その中野さんの事、貴方が知らない事、教えてあげたいの?分かる」
私 「ア、そうなんですか、それなら行きます」
マドンナ「そう、私、6時まで電話番しないといけないから少し待ってね、一緒に行くから」
私 「ハイ、お願いします」として職場に戻った。
気持ちを切り替えて、サァー仕事するゾ、今日は三菱化成の日誌が20版ほどあるし、植田製作所の三枚複写があり、全部は終われないぐらい仕事がつかえている。そんなつもりで準備していたら、早速、空閑課長が来て、「上瀧、朝一番に化成のラベルを印刷してもらうけ、チョット待っとってくれ。三階から版を持ってくるので。ア、そうだ、作業伝票やるので、藤島に言って、紙の準備から先に進めてくれんかー」と足早に三階に上がった課長。
仕事が増えた。B3コート紙70.5㎏の、ちょっと厚手のコート紙で、4色もの色ラベル。このラベルは専用のインキが別注であるので、すぐに色が出せるし、今日中に納品とかのヤツだ。
それで準備していたら、早速、柚木専務が来て
「ジョーさん、化成のラベル、早く頼むなァー」とか言って、こちらも早足に活版機械場の保理課長の所に行った。
仕事が始まると、気ぜわしい。製本の女の子が、昨日印刷したものをドンドン奪い取って行く。
「ジョーさん、これ印刷終わっているんよネー」と、若い女の子からでも「ジョーさん」と呼んでくれて「ア、イイよ」。
これも、これも、と、手押し車に私が積んでやると、「ありがとう」とかで、
職場が一気に広くなり、仕事がしやすくなった。すると、すぐに藤島くんが印刷紙を机にドッカンと、B3コート紙4000枚を一度に持って来て、力強い。
「次、何か切るものある?」とかで、
私が手持ちしている化成の日誌12枚の作業伝票を渡して……「OK」とかで、少し雑談。
藤島くん「ジョーさん、芳野病院の女の人、どうなったん?」
「その話しか、オレにも、よう分からんけど沖縄に帰ると、さっきマドンナから聞いた、それだけ」「そうか」で行ってしまった。
会社の中で、小さな話しが大きくなり、何故かしら、私に対する目線を強く感じる工場の中。
でも、専務が「この事を黙っとけ」と、皆に指示しているので、ほとんどの社員は、中野まゆみさんの事を聞いてくれないから助かる。
そして忙しく仕事を終えた私だったが、5時30分でタイムカードを押した。その30分後に、池田さんを待つので、ゆっくり三階のロッカー室で通勤服を整え、少しオシャレして髪の乱れを整えた。
玄関外でウロついていると、すぐにマドンナがやって来て「お待ちどうさま」とか言って、今日の池田さんのファッションを見たら、アノ中野さんのような洋服に、ポニーテールして白いリボンを付けている。チョット透けて見えそうな下着を隠すぐらいの薄いピンク色のブラウスに、白いフレアーの膝上のミニスカートで、中野さんより、チョット背が高い池田さんのお姉さんが、ハイヒールを履いているので、ほとんど私と同じ背の高さ。
その女性と一緒に、いつもの駄菓子屋、真浄の前を通ると、お母さんが路地に水撒きして、涼しさをよりアピールさせている。
すぐに池田のお姉さんに気付いて
「お二人さん、今日は何処にデートするの?」と言ってくれたので、すかさず
マドンナが「おばさん、デートじゃないの、姉弟ですよ」
お母さん 「そう、姉弟ね」と、チョット首をかしげて「行ってらっしゃーィ」と、後ろから声かけてくれる。
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いつもの橋台前を通り過ぎ、まっすぐ行くと若松渡場。しかし、橋をくぐり抜けて、すぐに右折すると、明治町商店街に入る。この道を真っ直ぐ歩けば、ホラヤに金文堂、若松駅と続く、若松で一番、人通りが多い商店街。その中の左側に、喫茶レオのお店がある。
池田のお姉さんが先に入って「マスター、コーヒー2つ、お願い」とか言って、
一番奥のテーブルに向かい合わせて座ると、すぐにマスターが来て、お冷を入れてくれた。
「コーヒーは、いつものでイイですか」と、マスターが池田さんに言うと
「ハイ、アメリカンコーヒー。ジョーさんも一緒でイイよね」「ハイ」しばらく、ゆったりの時間。
無言の時間が過ぎて、喫茶店の油絵に見とれていたら、
優しい小さな声でマドンナが「ジョーさん、中野さんが沖縄に帰る日、知っているの?」
私 「知りません」
マドンナ「そうよね、知る訳ないもん。先日、芳野病院の院長先生と専務が話していたのを聞いたの」「そしたらね、日曜日のお昼に院長の奥様が、中野さんと一緒に寮を出て、沖縄の実家まで送って行くそうなの」
「院長先生と中野さんのお父さんは、東京の大学で親友だったとかで、それで中野さんが芳野病院で勤め始めたの」 「ア、そうなんですか」
「それでね、その後があってね、この間、中野さんが好きな人が病気で入院していた事、教えてあげたでしょう」 「ハイ」
「その方、亡くなったの」 「エー、そうなんですか」
「重い心臓病で、もう少し早く病院に入院できていたら何とかなった、そうなんだけど、その事を気にして、中野さん、会う事なくなって、すごく寂しかったみたい。1ヶ月前の話しだったのが、彼が半月ぐらい頑張ったのに、すぐにでしょう。中野さん、ショックだったみたいで、それで思い余って、あのような事になったの、分かるでしょう」
私 「ハイ」
マドンナ「その彼、仲城さん、て方は、名護高校からズーッと同級生で将来、結婚する約束があってね、親同士が決めて、仲城さんが一人前になって、沖縄に帰って来たら結婚する約束していたのね」「中野さんの弟、弘くんも東京医大で、みんな親の意志を継いで、医者を目指していたのね、知っていた?」
私 「イエ、私は、弘くんは、ただの大学生でしか聞いてませんから」
マドンナ「そうなのよねェー、女の子は中々、本当の事、言わないもの。ましては若松で一人ぼっちでしょう。その中に貴方、ジョーさんが弘くんの代わりになって、お付き合い出来た事、楽しかったでしょう、奇麗な人と」 「ア、ハイ」と、下を向くと、「ホラ、顔が赤くなった」
マドンナ「私も色々相談に乗ってやりたかったのだけど、中野さんは最後まで仲城くんのこと、詳しく話してくれなかったのよ。この喫茶店に中野さんと5~6回来たことあるのよ。知らなかったでしょう」
私 「ア、そうなんですか」
マドンナ「そう、女性は凄く感情が複雑で、特に男性との関係は特別なものを持っていて、正直になれないの。だから秘密にしていること多いのよ」
「貴方、ないでしょう」
私 「ア、ハイ、でも池田さんも、そんな事あるのですか?」
マドンナ「アラ、始めて私の事聞いた。少しぐらい私の事、感じていたの」
私 「…………」 又、黙ってしまった。
マドンナ「イイのよ、正直に話してくれたら、私は貴方に隠し事しないで教えてあげる。まだ私には好きな人、そう中野さんのように想っている人いないのよ」
私 「そうなんですか、結構たくさんの人とオシャベリできているし、それに池田のお姉さん、奇麗だし」
マドンナ「アラ、私のこと本当に奇麗と想ってくれたの」 「アーハイ、奇麗です」
マドンナ「ジョーさんも、やっと女の人と、そのようなお話しが出来て、女の子をホメる事できるようになったのね、大人になった証拠です」
マドンナ「それじゃ、これから弟でない、お付き合いをしましょうか?」
私 「イエ、困ります。私は、いつでも池田さんが、私のお姉さんです」
マドンナ「ハッキリ言うわね。でも、それが貴方のイイところ。正直にお話しが出来る事。これが一番大切なのだから、私も正直に貴方、ジョーさんに話しが出来るのよ」
私 「すいません、お姉さんで……」
「イイのよ、会社の中で貴方みたいな人いないのよねェー。だから、ジョーさんは皆から好かれているし、社長や専務も貴方に期待しているのよ、これは本当です」
私 「ア、そうなんですか。この話しが聞けて凄く良かったです」
マドンナ「そう、大切な事忘れていたわ。あの日から中野さんと会ってないでしょう。私も会ってないし、だけど、貴方は中野さんにとって凄く大切な人なの。最後は見送ってやらないと」
マドンナ「私は行けないけど」
「芳野病院の寮はロータリーの、高塔山通りの一番大きな家、芳野病院寮と大きな立て札があるから、すぐ分かると想うのだけど」「院長先生の奥様が迎えに来て、タクシーで福岡空港まで行き、空港から名護の実家まで一緒するそうなの」
「お昼の12時とか言ってたから、これは同じ寮に入っている吉井さんに聞いたので本当です」
「だから貴方、ジョーさん、これが最後になると想うの、行ってあげてね」
私 「………………」
マドンナ「黙ってないで何か言いなさい」と、姉から怒られている感じになって
「ハイ、行きます」と答えた。
マドンナ「アー、良かった。シッカリ挨拶して、ありがとう、まで言うのよ。たくさんお世話になったんだから、私の分まで、彼女にシッカリ、お世話になりました、と言うのよ」
私 「ハイ、そのつもりで少しだけ、言えるかも」
マドンナ「男の子は最初と最後はキッチリするの。ジョーさんは出来ると想っているから、シッカリ会って下さい。以上で、お話し終わりです」
そのような話しを聞いていたのか、マスターがタイミング良く、二杯目のコーヒーとショートケーキを出してくれた。池田さんがマスターに「ケーキは注文していませんけど」
「店のおごりで、今度、新しく作ったチーズケーキで、味見して、感想聞かして下さい」
「ア、そうなの、ありがとうマスター」
今日は、そのコーヒーに何も入れないブラックコーヒーにチーズケーキをスプーンで切って食べる私。池田のお姉さんが「柔らかくて美味しい。貴方の感想は?」
私 「ア、ハイ、チョット味が分からなくて、始めて食べるので」
マドンナ「そうなの、でも後で美味しかった、と、マスターに言うのよ」 「ア、ハイ」
長い話しが済んで、池田のお姉さんがマスターとお話ししながら会計してくれて、外に出ると太陽がオレンジ色に変わってきた。
夏日の今は日が長く、まだ薄明るい。マドンナは栄寿司前のバス停から二島方向のバスに乗る。
私は、その反対側のロータリーのバスに乗るので、400mぐらい一緒に帰る事ができる。
平日の金曜日、人通りは少ないが、池田のお姉さんが私の腕を優しくソーッと取って組んでくれた、始めての行為だった。
年上の人が、どのくらいこのように腕を組んで一緒に歩いてくれたかを想像する私に、もうそのような人がいなくなる、この寂しい気持ち。
でも、池田のお姉さんが同じように腕を組んでくれて幸福。
でも、なぜかドキン、ドキンもしないのが不思議で、少しだけ目が潤ってきて涙がでそうな僕。
下を向いていると涙が落ちそうで、顔を上げて大きくタメ息をついた私。
その事に気づいた池田のお姉さん、無言で、いつものお姉さんじゃなかった。
でも、お姉さんのおかげで決心がついたし、凄く優しい池田のお姉さん。
でも、又……、年上の人、中野さんの笑顔に、優しい瞳が浮かんできて、もう、どうしょうもない私に、熱い、熱い想いが込み上げてきて、涙がこぼれていた。
その事を知った池田のお姉さん「ジョーさん、ハイ」と、白いハンカチを私にくれた「ありがとう」
マドンナ「ジョーさん、男は泣いたらいけないの、ホラ、私と歩いてるでしょう」 「ア、ハイ」
でも、右手にシッカリ白いハンカチ。左手は池田さんが組んでいる優しい手。
そして、池田さんのバス停。私は舗道を渡った正面のバス停。
私 「ごちそうさまでした」と小さく頭を下げ「又、明日会社ね」と、池田のお姉さんだった。
日曜日の朝10時8分の田川から来る若松行きのバスに乗り、若松ロータリーには11時前に着いた。
ゆっくり高塔山方向に進むと、大きな2階建ての家が二連あり、門柱に芳野病院寮とあった。
私は、その中に入る勇気がなかったので、迎えに来るであろう車を待っていた。
その足元から、年上の人と何度も出会えた、若松ロータリー遊歩道と、若戸大橋が大きく見え、正面の高塔山を仰ぐ急斜面な登り口を見ながら高塔山公園に散策した想い出の道、隣りにある西鉄ホテルに佐藤公園の大きな木。
右側には白山神社の階段が130段ほど見え、大きな木が山並みを整えている高塔山登り口。
本当は、もう一度、桜色が染まる4月に高塔山へ年上の人と、登りたかった自分勝手な想い込み、しかし、それ以上に、たくさん誘ってくれた年上の人と、デイトに散歩、ハイキング、映画館、丸柏デパートの食事、色々と積み重なって想い出せる楽しい遊び。
それに優しい顔立ちの大きな瞳の、吉永小百合さんをイメージした清楚な女性に、凄くあこがれを抱いた私だった。
その人が、もうすぐ若松から去って行く。
そして今日は最後のお別れの日、そんな想いを巡らしていたら、黒塗りの大きな観光タクシーが、寮の正面前に止まった。遠くから眺めていたら、院長夫人が出てきて、その門をくぐった。しばらくして、ハンドバッグと、簡素な旅行キャリーカーで、出てきた女性。
あの、中野まゆみさんだった。
隣りに院長夫人に、寮生の女の子達6人ほどが見送りに出ていたが、私は想いきって、その中に割り込み、年上の人に「こんにちは」と声をかけた。
ハッとした表情を見せた年上の人。
私の顔を見て「ジョーさん……」
すぐに下を向いてしまった彼女。
それで私は、井筒屋デパートを案内したとき頂いた、彼女の白いバラのブローチを差し出した。
「これ、本当に頂いてイイのですか」
年上の人、もう一度私の顔を下から見上げるように、涙目で私の手に持つブローチを、そのまま私の胸に押し返し、両手で私の胸を押すようにして、うつむき、「ありがとう、貴方が来ている事、知らなくてごめんなさい。でも、嬉しい」、と小さな声で言ってくれた。
しばらくの間、無言でうつむいている年上の人。
そして 「貴方に会えて、凄く嬉しかったの。楽しかったの。こうして頑張れたのも貴方のおかげかも知れない。そして、私のこと、本当に想ってくれて、ありがとう」と、涙した声が震えていそうで、私は声が出なかった。
その様子を皆が見てくれ、涙している女の子もいるようだったが、誰も声をかけられない。
そして、ここまでとして、彼女が私の腕を両手で押して間を開け、「大変お世話になりました。池田のお姉さんにも、この事、言ってね」と小さく頭を下げると、
彼女のポニーテールしたホワイトのリボンが輝き、「ハイ、必ず伝えます」と、
私も目が潤んできて、今も泣きたいぐらいだったが、こらえていると、
院長夫人が「上瀧さん、貴方はイイ方ね。ありがとう」
と、小さく頭を下げ、「中野さんを実家の名護まで送ってあげますので安心して下さい」
そして「中野さん、もう一度、皆さんに挨拶してね」
「ハイ、皆さん、ありがとうございました、そしてお世話になりました」
もう一度、年上の人が私の顔を見て、
「今度、沖縄に遊びに来てね、案内してあげるから」と、言い残してタクシーに乗った。
わずかばかりの時間の中で年上の人、中野まゆみさんと、お別れした私だったが、何となく晴々した気持ちになれたのは不思議だった。
年上の人 完
マイファミリー 「年上の人」 完結
PS 最終稿まで、読んで頂き、ありがとうございました。
このストーリーは、本当にあったお話しを書いています。一部、名前を変えていますが、勤めていた吉田印刷KKと繋がっている多くの人々を情景に入れ、北九州市若松と小倉、それぞれの昭和の時代背景の中で「年上の人」との想い出をシッカリ感じ、この稿を平成3年に書き上げ、2022.1月に再校し、4編に分けて紹介しました。主人公の年上の人は、今、沖縄で結婚し、幸福な家庭を築いています。なお、本文と一緒に紹介した女性の写真はマドンナ池田さんと、私の妻、洋子ちゃんです。その上で、小説 マイファミリー 第二巻 「年上の人」はホームページ「フィッシング.ライフ.上瀧勇哲.昭和の軌跡」と、このページで、全編紹介しています。どうぞご覧下さい。
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小説 マイ・ファミリー 第二巻 「年上の人」 終編 4
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