フィッシングライフ 上瀧勇哲 昭和の軌跡
小説 マイ・ファミリー 第二巻 「 年上の人 」 前編1
ペンネーム 大和三郎丸 (上瀧勇哲)
竜神伝説と初恋・完結 | 年上の人.1・続 | 年上の人,2・続 | 年上の人,3・続 | 年上の人,4・完結 |
小説 「車イスの家族」 | 海洋の生立ち1~3 | 小説「他人の子」1~4 |
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上瀧は(じょうたき)と読むのだが、佐賀県佐賀市から大和町につづく小城市に多く、その地名ではありふれた名として現存する。他にカミタキ、コウタキ、ウエタキと、色々な読み名はあるが、ベースは同じと想って間違いない。 そして勇哲(ゆうてつ)名は、勇ましい哲学者となるのだが、これは祖母がお寺参りで好きになった、檀家としている小倉・正圓寺のお坊さん、小手川勇哲さんの名前を、そのまま譲り受けた名であり、勇哲は、ありがたすぎて名前負けしていると、父母から良く言われた。 それで、上瀧も勇哲も、学生の頃は嫌いで、名前を覚えてもらうのが大変だった。 その上瀧名をPRしてくれたのが昭和から平成に大活躍した上瀧和則さんだった。 競艇の選手で、日本一を決めるジャパンカップを2度も制覇した名選手。年間獲得賞金ランクは2億円以上、当時のスポーツ紙で名前が出ない日はなかった有名選手。そのことで仕事仲間や親戚、ご近所のギャンブルファンから、彼のことを良く聞かれた。私より12才ほど年下で、大活躍した選手、しかも遠縁の親戚だから、話のネタに欠かせない存在だった。 しかしながら私はギャンブルを一切やらない、酒も飲めない、そして男なら噂の一つでも、と言いたい女性関係は妻だけ、しかも正直で生真面目、大人しく引っ込み思案、マスクも決して良いとは言われない母似であり、気性は短気で気が荒い。これは母方の祖父に似ているらしいが、このことが幸いし今の自分があるのかも知れない。 そしてペンネームの大和三郎丸は、いわゆる日本人である大和、三郎丸は私が生まれ育った地名をもらい、今、活躍中のラグビー、五郎丸選手のような、有名になりたい私である。 そのペンネームを使い、30年あまり何も変化がないのだが、北九州市小倉三萩野三郎丸の町名を検索してみると、鎌倉時代からの荘園地、田園が広がり、豊かな米作りができた処。そして三郎は人名、丸は所を表すので、三萩野は三人の子供、その三男の三郎がこの地を収め、米作りに励んだ、と云うのが定説で小倉藩に記録されている。 さて、昭和25年、小倉三萩野三郎丸で生まれ育った私の物語には、その当時、出会えた、たくさんの人々がいた。私という人間を形作ってくれた大切な人々は、生きるステージ、喜びを教えてくれた恩人として紹介する事ができる。 僅かばかりの時間の中で生き綴た、喜びと悲しみのストーリーを皆さんにアピールしたい。 登 場 人 物 ◎私、上瀧勇哲が、初めて会社に勤め始めた昭和43年~46年までのストーリー。通勤から始まった会社の出来事、職場の上司に先輩、若松の町並み、景観、その中で出会った人々とのコミュニケーション。そして私の心を躍らせた一人の女性。その結末を紹介するドラマ。 ①序奏。昭和43年の早春、私の家から吉田印刷所に勤める。 19才の私 ②通勤が始まる日 昭和43年~45年 ③若戸大橋橋台上で、出会う年上の人。寂しそうな、その人を想う心が、更に増してゆくとき ④初夏の想い出、若戸大橋橋台バス停の出会いから小倉井筒屋デパートに、買い物に誘われて ⑤事務所のマドンナ、池田さんの冷やかし印刷物を芳野病院に届けたとき、 ⑥若松明治町銀天街で年上の人から声をかけられ赤提灯に食事に誘われた。 昭和45年6月 ⑦二度目のデートは映画と丸柏デパートのハンバーグ定食 昭和45年6月 ⑧若松橋台上で出会った年上の人と小倉魚町銀天街と小倉城公園のデート 昭和45年6月末 ⑨年上の人と四度目のデートは小倉祇園祭と、小倉城公園 昭和45年7月18日 ⑩弟、弘くんからのプレゼント 昭和45年7月 ⑪高塔山のハイキングと若松商店街の藪のそば 昭和45年8月上旬 ⑫沖縄からのプレゼントと、会社の沖縄旅行 昭和45年9月~11月 ⑬会社の新年会帰りに出会った、年上の人と喫茶店「レオ」 昭和45年12月~46年1月 ⑭年上の人と恵比寿祭りは、福くじ一等賞 昭和46年2月 ⑮弘くんからのプレゼントとインフルエンザ 昭和46年3月 ⑯年上の人と遊べた若松、ひびき灘の潮干狩り 昭和46年4月
私の名前は上瀧勇哲、九州北部にある百万都市、北九州市に住んでいる。
その上瀧名は、市のNTT電話帳を開いても五~六件しかない。
◎中野まゆみ 年上の人・主人公
中野 弘 中野まゆみ、弟、大学生
◎池田さゆり 吉田印刷所の事務員(マドンナ)
◎石橋のおじいちゃん 吉田印刷所の管理人
◎石橋のおばあちゃん (空閑課長の義祖母)
◎芳野病院の院長
◎その院長夫人
◎真浄幸子 会社近くの駄菓子屋の女将
真浄の姉妹、長女洋子、次女真美、三女美香
◎吉田印刷所の社員
空閑敏明 平版印刷機械課の課長
萩原金安 大先輩
中西悦二 三階、平版製版の先輩
有門 博 工場長
宮村博敏 二階、活版製版課の課長
吉田正人 社長
柚木洋一 専務
北九州市小倉三萩野から通勤が始まり、通勤途中で出会う人々、そして吉田印刷所の工場とは
昭和45年、冬~4月
昭和45年4月
受付の、年上の人、中野さんの出会い 昭和45年5月
3月の早春、北九州市小倉北区三郎丸、私の実家から物語が始まる。
早朝の5時30分、起床し土間に出ると、吹きさらしの風が木戸から入ってくる。
暗い土間で裸電球の40Wが薄暗く灯り、母が朝げの準備をしていた。
やっと、プロパンガスが我が家に入り、ハガマでご飯が炊けるのだが、以前からある七輪とか練炭は、我が家に欠かせないもので、七輪は豆炭を入れて燃やし、鍋料理などを作る大切な火器だ。
練炭は火鉢に入れるもので、冬季の我が家は、この二つが暖房器具となっている。
まだ石油ストーブは高級なもので、数年後にやっと電機コタツが買えたぐらいだ。
その土間で、洗面器に水を入れ、顔を洗うのだが、我が家は井戸水を電機ポンプで汲み上げ、水道水としているので、温かい水が出ている。
近代的な市の水道水は、冬場に凍って出ないことが多く、隣の家に住む、母子家庭の姉妹は、しょっちゅう我が家に水を貰いに来る。
その井戸水は地下水を、そのまま汲み上げて使うので、冬季は温かく、夏は冷たい水として、凄く重宝される水だった。そのような土間がある家は、珍しく、今頃の近代的な生活とは無縁の環境だった。それでも、やっと私が会社に通えることになり、少しずつだが家族が幸福になっていることに、母はすごく私に感謝していた。
高専を卒業し、今、北九州市若松区の吉田印刷所に勤め始めている。
それで朝6時20分には家を出て、歩いて25分の三萩野バス停に行き、田川市後藤寺から来る6時55分の若松行の準急バスに乗る必要があった。
そのバスが小倉駅前から魚町、小倉高校下、戸畑工大前、中原、戸畑幸町、そして若戸大橋を渡り、若松橋台で降りると、吹きさらしの冷たい風がビュービュー―吹いて寒い。
橋台上からエレベーターのスイッチを押すと、公団職員がエレベーターを操作し、上に登って来る。そして私を乗せ、再び下に降り、ここで10円玉を入れると改札口から出られる、という仕組みである。若戸大橋は昭和37年に開通し、その当時は遊歩道があった。
その橋の上を歩いて戸畑側に行き、戸畑橋台からエレベーターに乗り、下に降りることが出来た。
したがって、徒歩で戸畑から若松、若松から戸畑に行けた。又、バスも同様に、戸畑橋台、若松橋台、双方にバス停があり、橋の上から乗り降りできた。この事が昭和時代まで続き、今は橋が四車線になることで舗道が無くなり、人が歩いて渡ることが出来なくなった。
その事で、橋台上でバスは止まることなく、エレベーターも私用では使われない。
そのような若戸大橋を舞台にした、私の熱い昭和時代の青春ストーリーを紹介したい。
早朝、若松橋台バス停からエレベーターに乗り、降りると石畳みの海岸路が200mほど北へ続く。早足で歩くと右側に若松魚市場が見えてくる、その手前は若松漁港があり、磯臭い匂いと、洞海湾の油臭い臭いが入り混じり、ここを通る都会の人は凄く嫌がるのだ。
なぜなら、この時代の若松とか北九州洞海湾は公害都市で名高い、酷い環境都市だった。中でも国内最大規模のスモッグに、煤煙が酷く、窓を開けると鉄くずの粉が入り、部屋が真っ白になるのだ。
しかも洞海湾の海は、当時、死の海として認められ、魚が住めない環境から、もっとひどい、海が抹茶色に染まり、油が浮き、その海水が白い服に着くと、油と濁り水で、洗濯しても絶対に堕ちない、油まみれの海水だったのだ。
そして、公害病とする、ぜんそく患者が全国一多かった。それはそのはず、北九州市八幡には日本一の八幡製鉄所があり、戸畑にも、多くの製鉄所があり、若松の北港には5つほどの鉄工所や日立造船、東海興業など、様々な工場の煙突から24時間、赤、クロ、茶色などの煙が黙々とあがり、大気をうめつくし、太陽を遮断し、昼でも暗い日が続いた。
しかしながら、昭和時代の北九州市は、日本の重工業都市をリードし、大活躍した時代でもあった。
その事で私が勤める吉田印刷所も、その時代の一躍になった会社ともいえる。
さて、物語を続けるが、その若松魚市場、朝の時間帯は魚河岸の兄さん達が忙しく動き回り、セリにかけられた魚をリヤカーとかミゼットとか言う三輪車に積み込む。
市場の奥では、薄暗い電球の中でセリ声が響き、兄さん方の掛け声が勇ましく聞こえてくる。
活気に満ちた市場横の通路には行商する、ばあさま達がリヤカーとか背中に担ぐスタイルで魚を待っているようだった。
道路を挟み、店を構える駄菓子屋、真浄の店では、若奥様が愛想良く、魚河岸の兄さん達とおしゃべり真っ最中。その店で手伝いしている三人姉妹は、お母さんに似てみんな美人、そして愛想がすごくイイのだ。 その中でも次女の真美ちゃんは、私より二つ下の高校生。学校に行く前の制服で「おはよう」と声を掛けてくれる。三女の美香ちゃんは「兄ちゃん、おはよう」と言って、いつも人懐っこく甘えてくれる。その奥で長女の洋子さんは、私と同じ年で、お母さんの手伝いをしている。
そして、いつも大きな瞳で「おはよう」と言ってくれる大人ポイ女性。
この場所で、私は瓶入りのコーヒー牛乳を飲むのが習慣になっており、長女の洋子さんが温かいコヒー牛乳の栓抜きをしてくれ20円支払う。寒―ィ朝の温かいコーヒー牛乳は実に美味しいのだ♡。
そして、真浄のお母さんが、私のことを「ジョーさん」と、呼んでくれるから凄く嬉しい。
私のニックネームは最近、上瀧の上をとって「ジョー」と、会社先輩達が言ってくれるので、真浄のお母さんも親しみを込めて「ジョーさん」と言ってくれる。
その上、愛想の良い三姉妹がいるから、いつも早起きして、この店のミルクコーヒーを飲むのだ。
その上、魚河岸の兄さん達と、ここで釣りコミュニケーションできるのが、又、すごく楽しい。
今、何が釣れているとか、どんな魚が旨いか、色々教えてくれるのだ。
その店を出て、さらに200m、北の一本道を歩くと、右の洞海湾側に吉田印刷所がある。
いつも、デッカイシャッターが開いている玄関から入ると、もう一つの高さ3mの木戸を開けると、石橋のじいちやんが待っていて「おはよう」と、いつも先に言ってくれる。
それで「おはようございます」と挨拶。そして「今日もお前が一番だ」とホメてくれる。
会社の始業時間は8時15分。ほとんどの社員は8時ごろに入社する。
二階の事務所前にあるタイムカードを押して、時刻が刻まれ、三階のロッカーに入り、早々に作業着に着替え、すぐに小使いさんをしている、石橋じいちゃんの部屋に行く。
石橋のおじいちゃん、おはあちゃんは、昔から住み込みで吉田印刷所の管理人兼、小使いさんとして働いている方で、私の直接の上司、空閑課長の義祖父でもある。 それだけに、ここの居場所は心地良く、いつも、おばあちゃんが美味しいお茶を入れてくれる。この間は佐賀の小城羊羹を切ってくれた。
朝茶を頂くころ、事務所のマドンナが、やはりここに来て湯を沸かし、熱湯を魔法瓶二つ、入れることを毎朝しているので、お姉さんとの会話も、ここで楽しめる。
そのマドンナ、今日も「ジョーさん、又、ここで浮気してる、何かイイ事あったの」と、色んな事を聞いてくれる、そしてイジメられる。
そして、仕事が始まる10分前には、機械の油さしとか、ものものの準備をしていると、やがて機械の音がゴゥゴゥと、音を立て、廻り始めると、話し声が聞きづらくなるので、みんな大声で話す。
そんな会話を聞いているとケンカをしているようにも感じ、勘違いすることもある。
平版印刷機械課には、菊全判の印刷機からA半裁判の印刷機が9台ある。
活版印刷機械課は12台の印刷機に、カーボン印刷機械は2台、それぞれに機主が着き、そのサポート役7人が補助員として付き、私もその中の一員として今、仕事を覚えている。
その機械場、隣りに製本場といって、印刷したものを切ったり、整えたりする職場があり、ここには大勢の女の子がいる。まだ中学、高校を卒業したばかりの女の子が常時30人ほどいて、これに仕事ができる職人みたいな管理女性が数人、他に紙を切ったり、折ったりする機械工が5~6人は男性である。一階の工場は、とにかく人が多く、気忙しいところでもある。
二階は事務所と製本場兼、食堂が半分を占めるが、後の半分以上は活版製版場となる。
活版製版とは、印刷所の源流となる鉛文字を拾い集める文選に5人、その鉛活字と、込み、欄ケイ、銅板などを組み合わせる植字組版課がある。補助作業員には若い女の子が7~8人いて、校正刷りなどをする部門となり、鉛活字を作る鋳造所まで加えると常時30人ぐらいがここで働いている。
そのような活版印刷は、明治時代から伝わる様式の古い仕事場といえるが、当時のこのような印刷所は350社ほど北九州市にあったが、北九州市小倉には読売新聞社に、朝日、毎日新聞社があり、大量に新聞印刷していた工場と様式は似ている、ただし新聞輪転機には鉛板という、丸く形取られた凸版様式で印刷していた。幅2m×直径1.5mのロール用紙を機械に組み込み、一度に両面印刷する輪転印刷機械が連続して繋がり、16pから24pまで印刷され、折が入り、切れて、部数単位で、仕分けまで出来る自動化がドンドン進んでいた時代。それでも町工場の吉田印刷所は社員180人ほどで北九州市ではNo.3ぐらい大きな会社でもあった。
そして、タイムカードが置いてある二階の事務所には、社長を始めとした営業部があり、経理、工場長以下、事務員などの、若い制服組が20人ほどいた。
三階は平版製版課としてフイルムをベースにした写真、カメラ機が4台にフイルム現像から、文字を作る写植機やフイルムを切ったり貼ったりする、大きなライトテーブルが6台あり、その周りを囲む職人が、印画紙とかイラスト、文字組などして原稿作りを製作し、チラシとか、作図や、銀行や会社で使う印刷物の色々を製作し、又、カラー製版の色分け作業などのフイルムを作る部門として一番忙しい職場でもあった。簡単な原稿が入るとフイルムカメラ撮りし、ジンク版とか、PS版などに焼き付け、版にする作業場で、ここにも若い女性と男性が入り混じり、20人ほどが常時仕事をしている。
その中に私の好きな中西先輩と渡辺課長がいて、私が一番好きな居場所となっている。最もその関係は、この職場に応援要員として私は良く使われた。
他に、ニス引き機械とか研磨機などの機械があり、それぞれの作業に工員がいて、複雑でややこしい微細な仕事を、ミスなくやり遂げる印刷の工程は難しい仕事ともいえる。
私は、これらの一連した仕事を全てクリアする立場で入社したと想うが、これをさせてくれたのが吉田正人社長であり、専務とか支配人が口うるさく、私をこき使うのだった。「今からの若者は何でもできる、技術にパワーを身につけ、新しい時代の印刷文化を背負うスタンスを取れ」そんなハートが、この会社の気風として私は育てられた。
そのような印刷所勤務を始めている私だが、19才で車の免許を取り、すぐに通勤用の軽自動車を12万円で買った。ホンダN360バンであったが、この当時の新車が30万円で購入できていた時代で、私の月給が一万五千円だった。
その頃は、車の免許証を持つ者は営業運転手か、商売する者だけで、営業マンに限られていた。
個人で通勤とか、趣味で車を持つ人は社長か重役で、よほどの高給取りでない限り車を持つことはなく、私みたいな先走った若者は、ほとんどいなかった。
社員が180人いてマイカーを持つ人は社長と専務ぐらいで、後はバイク通勤が二人だけ、いかにこの時代、車の免許証を持つとか、自家用車を持つ者がいなかったか、お分かりかと想う。
そのことで私は、多くの釣りマニアから誘われた。特に上司の空閑課長から毎週のように魚釣りに誘われた。 5月から6月は毎週のように、宮崎県門川町、庵川沖磯の大ロビー島、小ロビー島、ブリバエ磯などの石鯛釣り、そしてシマアジ釣りからクロ釣り、大分県鶴見崎、米水津の磯釣りなど、呆れるぐらい魚釣りをした。そして、会社以外の対外企業者との接待から、お付き合いによる、魚釣りも多かったので、たくさんの人脈というか、繋がりで会社経営という仕組みを魚釣りで知った。
そんなある日、平版印刷機械課で24時間、機械が動くことで二交代となり、私は家から深夜0時出社のマイカー通勤中、交通事故を起こしてしまった。幸い、たいした怪我なく、私のマイカーはスクラップになった。このことで相手方のタクシー会社から賠償金が課せられたが、母の弟の昭おじさんの仲介で、なんとか示談ができた。この事で再び、小倉から若松をバスで通うことになった。
いつものように2時間ほど残業して若松橋台上へ。
バス停に行くと、すぐそばの遊歩道から若松・戸畑の街を見る女性が時々いて、なんだか寂しそうな後ろ姿を、いつも、気にして見ていた。
10分おきに次々やってくる戸畑行の市営バスが通り過ぎるが、私がバス亭そばに立っと、乗車するかのように止めてくれる。
しかし、私は西鉄バスの定期券でしか乗れないので、定時にやって来る小倉行の西鉄バスに乗り、小倉平和通り停で降りる、そして乗り換えのバスに乗り三萩野か、片野で降りる。
そんな毎日の帰り時間、若戸大橋、橋台下で、その女性と同じエレベーターに乗った。
20代半ばぐらいの奇麗な女性で、事務員のような人だった。
黙って橋台上で降り、階段を30段ほど登り、やっと橋上に出られる。
私はバス停、その女性はいつも通り、遊歩道、しかし戸畑に行く様子はないが50mほど歩いたところで立ち止まり、大きな橋の鉄柵に寄り添い、戸畑の街か、あるいは海を眺めているだけの様子、なにか哀しみをもっているのか、寂しそうな後姿が、いつも気になる私だった。
そんな時々の出会いが二ヶ月ほど続いたある日、一時間残業した帰り道、いつもの駄菓子屋、真浄の店でミルクコーヒーを飲みほしていると、愛想のよい真浄のお母さんが、今日は十日えびす祭りで、「ジョーさん、恵比須さんで、福くじ買い、これ当ったょ」と、大きな赤いダルマを見せてくれた。「ジョーさんも、行き」ということだったので、久しぶりに、恵比須神社に行くことにした。
恵比寿神社そばにある伊木釣具店で、帰り道、釣りの話しでも、するつもりで100m歩くと、裏から入れる近道の恵比須神社がある。
赤い提灯が通路に沿って両サイドにあり、出店が、その通路に所狭しと、ひしめきあっている。
今日は毎年恒例の「10日えびす祭り」で、凄く賑わっているのだ。
その祭りに行くのだが、私は近道の横から入るので正面から続く露店の前は通らない、そして神社の鈴を鳴らした。
まずは願掛けで10円を賽銭箱に投げ入れてやった。
これで「給料が上がりますように」が一番。
次が「課長が驚くようなデカイ魚が釣れますように、そして女の子にモテますように」までを祈り、隣で大混雑している福くじ50円を買った。
しかし、やっぱりハズレの日本タオルだった。まぁこんなものかと想っていたら、私の隣で福くじを買う女性。あの橋の上で時々出会う年上の人だった。
しばらく様子を見ていたら、やっぱりハズレの私と同じ日本タオルをバッグに入れ、ゆっくり橋台の方へ向かって歩いていたので、なぜかしら私も、その後を追った。
そして10円入れ、橋台のエレベーターに一緒に乗ると、
その女性が「こんにちは」と挨拶してくれた。優しそうで清楚な人。
ハイヒールを履いているので背が高く感じるが、事務服と紺色のミニスカートが似合っていた年上の人だった。エレベーターを一緒に降りて、ついてゆく私。すると、その人は立ち止まり、
「毎日お疲れさまです。小倉の方へお帰りですか?」の問いに「ハイ」とかしか言えなかった。
大人になってない、まだ子供の私を見越しているような優しい言葉を掛けてくれた年上の人は、やっぱり今日も遊歩道で一人寂しく暗い海を見つめていた。
そのような後姿を、私は帰りのバスの中で何度も見てきた。
5月のゴールデンウイーク日は職場の萩原、中原先輩と、空閑課長の親戚がある山口県川棚町で魚釣り。釣り好きの川棚に住む石橋さんは、空閑さんの奥様の弟で、二日間、釣りを案内してくれる予定。石橋さんの家族は5人、3才と5才の、目の大きな女の子がいた。
皆で一緒に食事を楽しんだのだが、私は何も聞いてなかったので、「すいません頂きます」の一声ですました。空閑課長が「上瀧は酒が飲めんのでサイダーやってー」と、石橋さんの奥様に行ってくれた。すぐに奥様がサイダー瓶を開け、コップに注いでくれる。
「ありがとうございます」の片言しか言えない私。
その奥様も目が大きく、凄く奇麗な方、しかも上品で今まで見た事ない若奥様。
少しボーっとしていると女の子が、お兄ちゃん遊ぼう、と言ってくれて、お手玉をしだした。
この日は、私以外は宴会。先輩も課長も酒を夜遅くまで飲んだようだが、私は用意してくれた、ふわふわの、温かい布団で熟睡できた。
最初の日は、油谷湾の舟釣りに招待された。
シロキスにクジメ、カサゴが10匹ほどクーラーに入ったが、釣れた魚は、その日の酒の魚として、皆で食べた。次の日は、小串町犬ケ浦の磯釣りでカサゴとクジメ、25㎝クラスのメジナが6匹釣れた。その魚を、お世話になった石橋さんにプレゼントした。
すると奥様から、「迷惑かも知れませんけど」、とかでキュウリにナスビ、トマトまで頂いた。
見送ってくれたカワイイ女の子、何もできなくて「ありがとうございました」と、バイバイした。
そして次の日から始まる毎日、毎日の残業は会社で泊まり込みの日が続き、もうヘトヘトの週末。久しぶりに、定時の5時で帰宅できることになった土曜日、夕方5時30分でタイムカードが押すのは二週間ぶりかも知れない。しかも明日は休みだ。
先輩達も仕事で疲れているから魚釣りなどで誘うことなく、空閑師匠も声を掛けてくれなかった。
「あー良かった」と、明日は昼まで寝とこうと想った。
そして帰り道、駄菓子屋真浄の前を通ると、真浄のお母さんが「ジョーさん、今日は早く帰るのね」と声を掛けてくれた。
一番下の
それを見ていた公団のおじさんが「今日は早いやないか」と、声を掛けてくれる。もう馴染みの人ばかりで、なぜか一人で気分が盛り上がっているのだ。
そして30段の階段を一気に登り、上に出ると、吹きさらしの風が少しあり気持ちがイイ。
その瞬間、いつものバス停そばにある木の長イスに、あの、年上の人が座っていたのだ。
いつもなら遊歩道なのに、なぜ?と想ったが、私はバスに乗る人。
そう決めつけてバス停の前に立つと、その年上の人から「こんにちは」と声を掛けられた。
私 「ハァー、こんにちは」と交わす。
年上の人「今日は早いのね」
私 「ハァ、定時でした」
年上の人「そうなの、私も今日は定時なの。そして小倉、井筒屋へお買い物するの」貴方は?
私 「ハァ、家に帰ります」と、こんなにたくさん話しを、したことなかったので、
少し緊張している私。それに、始めて私の顔を見つめてくれて、胸がドキドキしている。
なぜか分からないが、会社の中で、たくさんの女性の人と交わしている言葉とは全く違う不安感、そして、なぜかしら緊張している自分が、すごく分かっているのだ。そして、
年上の人「あのー、井筒屋どこにあるか知りません?」
私、どう言っていいか分からないので「小倉駅近くですけど」と、上手に言葉で説明しきれない。
年上の人「私、小倉の街のこと良く知らないの」
私 「アーそうですか。私は小倉に帰りますけど、同じバスに乗ります」
年上の人「同じバスに乗れるのね」
私 「はァー、そうです」
年上の人「良かった。一緒に乗ってもイイのね」
私 「ハァー、そうですけど、少し案内できます」
年上の人「私、区役所前の芳野病院で事務をしています中野と申します。貴方は?」
私 「吉田印刷所に勤めています、上瀧です。ときどき芳野病院の、お仕事もしています」
年上の人「私、知ってるわ、柚木さんという営業の方が良く来ているもの」等々、年上の人がリードするような雰囲気で話しをしていると、西鉄バス、門司行がきた。
私が乗り、年上の人が乗り、二人席のイスに座ると、その年上の人も隣に座ってくれて、もうドキドキが止まらない。なんせ、年上の人の体が少し触れているので、心臓の音がガンガン響き、もう前を向いていられないぐらいになってしまった。 そして、その年上の人が、口を開いた。
年上の人「私に貴方と同じぐらいの弟がいるのよ。今、東京の大学に行っているの」
私 「あー、そうですか」
年上の人「貴方はえらいわ。毎日遅くまでお仕事して。小倉から通勤しているのでしょう」
私 「あー、そうですけど、みんなイイ人ばかりで仕事が楽しいです」
年上の人「すごいーわ、貴方は立派な人になれるわよ、ガンバッてね」
などと声を掛けてくれて、いつもの寂しそうな年上の人ではなかった。
何かイイことでもあったのだろうか、と想うぐらい今日の、この人の優しい笑顔が素敵に、イャ、奇麗に見えていたと想う。それにバスが揺れるたびに、その人の体が私に振れて、胸がドキドキしているのだ。そして小倉駅手前の魚町で二人は降りた。
私は少し遠くなるが、今日は魚町から電車で片野へ帰ることにした。
それで年上の人を、井筒屋近くまで案内した、というよりは、魚町で降りると、その後方に井筒屋が見えているのだ。けれども、お姉さんみたいな人と歩けるなんて夢みたい。
しかも再び胸がドキンドキンしてきた。
魚町銀天街を渡り、少し歩くと、北方行の電車が待っている。
その向こうに東映会館がある。
そして、その先が、めざす井筒屋。ここまでとして、お姉さんと別れることにした。
すると、お姉さんが「もし良かったらデパートの玩具売場まで案内してくれないかしら」
年上の人「今日は弟の欲しがっていたプラモデルを買ってあげるの」
「貴方はプラモデル、好き?」
私 「戦艦大和とかゼロ戦など作ります」
年上の人「そうなの、もし良かったら、どんなものが必要なのか教えてくれないかしら」
私 「あー、そうですか。それなら6Fです」
ということで、久しぶりに来たデパートのエレベーターに乗り、私のそばにピッタリくっついて、くれる年上の人。狭苦しいぐらい週末のデパートは混雑していて、お姉さんみたいな年上の人が私の腕をつかんで離さない。
もう最高にドキドキしているが、歩いているので分からないかもと、かなり不安。
そして恥ずかしい。 6Fのプラモデル売場では、大きなものは持ち帰りが不便なので、小さいものを年上の人が選び、予備のセメダインとプラカラー、筆、を買った。そして、
年上の人「ごめんなさいね、お礼にお食事しませんか?」
私 「イェー、帰ると母が準備しています」
年上の人「そうね、ここまで案内してもらって申し訳ないわ」
「それなら、これどうかしら」と、年上の人が身に付けていた胸のブローチを外し、私の手の平に乗せてくれた。
白い丸いホワイト地にバラを彫ったもので、すごく高そうなものだった。
それで私は何度も断ったが、最後は年上の人が私のポケットに入れてくれて「ありがとうございました」と頭を下げるしかなかった。
井筒屋の玄関ホールで年上の人とお別れし「又、何度も会える」そう想い「さようなら」を言った。
6月は仕事が忙しくてテンテコ舞い。
特に私のような、何でも出来る人間は印刷所の各職場から応援要請で私は引っ張りダコだ。
それも、忙しい職場に行くからよけいに残業が続く。
今週は毎晩10時まで残業。それから帰宅すると寝る時間が4~5時間は当たり前になっていた。
この日は三階の暗室でフイルム現像していたとき、事務所のマドンナ、池田さんがやって来た。
「ジョーさん、工場長がお呼びです」と、ニコニコ笑顔でやって来た。
雲の上のような工場長から、呼び出されるなど、ありえないのだが、何だろうと事務所に行くと、
工場長 「上瀧くん大至急、区役所前の芳野病院に印刷物を届けてくれないか」
工場長 「今、営業がみんな出払って、車を運転する者がいないんだ」
工場長 「池田くん、納品書と○○を積んで一緒に行ってくれんね」ということで、
会社の軽自動車に印刷物を積み込み、隣りにマドンナ池田さんを乗せ、10分の芳野病院に行く。
私は重い印刷物を持って玄関に入ると、すぐに事務員がやって来て、池田さんとペチャクチャ、仲良しの、女性二人の話し。
そして印刷物「ソコに置いてね」と、優しい声は、あの年上の人だった。
「あら、貴方は」
「ハァ」と、声にならなかったが、すぐに顔が赤くなったようで、困ってしまった。
すると池田さんが「お知り合い?」と、中野さんとペチャクチャ、おしゃべりが更に弾む。
今日は汚い作業服を着ているので、早く話しが終らないか、と想ったら、
その中野さん「チョット待ってね」と、すぐに戻って来て、私に「これね、沖縄の親が贈ってくれたお菓子なの。少しだけど食べてネ」と、首里城のクッキーを三っ、私の手のひらにのせてくれた。
「ありがとう」という言葉も恥ずかしいぐらいで、すぐに車に乗った。
次の日の朝、いつもの石橋のおばあちゃんから、お菓子の「佐賀錦を貰ったので少しどうぞ」と、お茶と一緒に貰って食べていたら、早速、事務所のマドンナ池田さんがやって来て、昨日のことを石橋さん夫婦の前で話す。
池田さん「ジョーさんはね、意外とモテるのよね、年上の人に」と、恨めしそうに言いながらも、顔はニコニコして、姉が弟をいたぶるような感じで石橋さんに言いつけているのだ。
そして「ホラ、顔が赤くなった」と、池田さんが、イジメるのだ。
芳野病院の年上の人、中野さんと私のことを色々聞きたいのかも知れないが、それが凄く恥ずかしい
事だと、その時はそう想った。
でも私は、そこにいる池田のお姉さんの方が現実的で「好き」と想っているのだが、こんなこと言えるわけもない。
もう黙って石橋の、おばあちゃんに「ありがとう」と言ってすぐに、この場から逃げた。
次の週末、久しぶりに土曜日は定時で仕事が終えた。
それで、前から欲しかったレコードを買いに若松明治町銀天街に行った。
若戸大橋をくぐって行く銀天街は会社から早足で歩いても20分で行けるのだ。
途中、会社の慰安旅行の写真が出来上がっている、はずなので、銀天街にある小田カメラ店に行くと、いつもの店長「出来てますよ、ただ5枚ほどピンボケがあったので、少し修正しときました」とのこと。この小田カメラ店は三階の渡辺課長が良く通う店で、吉田印刷の社員と言えば、フイルムもカメラも特別に安くしてくれる。
今度は会社の慰安旅行で、24枚撮りフイルムを三本も現像し、カラープリントが80枚ほどあったので、すごく上機嫌だった。 それで試供品のカラーフィルム24枚撮りを貰えた。
富士フイルムから新しく発売されるフイルムで、色が特別に奇麗にでる、とかのもので、チョット高い、かも、と言ったが、先ずは、魚釣りでも使ってみるつもりとした。
その店を出て、明治町銀天街の大通りに出ると、さすがに今日は人が多い。
JR若松駅に繋がるこの道は、先月、ブティック・ホラヤで旅行用のスーツを買ったところで、ヤングの人気店がある通りだ。しかし今日は、その手前にある金文堂に入った。
若松で一番大きなレコード店でエレキギターなどの楽器が多く置いてある。
それで私は、西郷輝彦の「君だけを」のレコードを買いたかったのだけれど、あいにく売り切れで無かった。西郷輝彦は私より四才上のカッコイイスターだ。
この間は「十七才のこの胸に」の映画を観たのだ。
そして舟木和夫の「高校三年生」の映画も観た。私と同世代の三田明も女の子から大モテで、レコードがすぐに売り切れるのだ。
そして、これらのスターがでる映画の日活館も、若い女の子がいつも多く、最近これらの映画を観に行く暇がない。それでレコードぐらいは欲しかった。
そんなレコードを探していると、後ろから「こんにちは」と、女の人の声。
私じゃないだろうと後ろを振り返るとニコニコした、あの年上の人が軽く会釈したので驚いた。
年上の人「今日はお買い物?」 「ハァ」と、最初から声が出せない私。
年上の人「どんなレコードを探しているの?」 「ハァー、西郷輝彦の……… 」
年上の人「貴方と同じぐらいの歌手ね、今一番、女の子に人気の」 「ハァー、そうです」
年上の人「歌が好きなの?」 「ア、少しだけ… 」
年上の人「西郷輝彦さんの歌声は魅力的ね、男の子もやっぱり好きになるのかしら」
私 「ハァー」と、次の声がでない。
年上の人「探してあげましょうか?」 「ハァー、でも欲しかったレコードが売り切れでした」
年上の人「それは残念ね、貴方のお買い物はおしまいなの?」
私 「ハァー、写真も貰ったし、帰る予定です」
年上の人「私もお買い物をする予定できたのだけれど、その通りで貴方を見かけたの。それで声を掛けてみようと想って店に入ったの」
私 「ハァ………そうですか、すいません」
年上の人「この間、井筒屋でお買い物したでしょう。あのとき、お食事に誘ったのだけど、もしかしたら、今日はいかが?」
私 「エーッ、食事ですか」と言ったら、年上の人、少し顔をしかめてしまった。
それで悪い気がしたので正直に「僕は女の人と食事などしたことがないので、それでこの間、断ったのです」
年上の人「そうなの、ごめんなさいね」
年上の人「私ね、若松に来て一人なの、弟は東京でしょう。親は沖縄なの」
年上の人「今日のお買い物は、丸柏デパートでオヤツを買いに行く途中だったの、行かない?」
私 「暇ですから、ついて行きます」
年上の人「良かった」と、すごく嬉しそうな笑顔になって少しホッとした私だった。
しかし、こんな奇麗な人と、デートというより、不釣り合いな気持ちになっている私をリードする年上の人。今日は白い半袖ブラウスに淡いピンクのカーデガン。
紺色のミニスカートは病院のもので、すごく清楚な人だった。
その女性が前で、私が少し後ろに下がり気味。
とても並んで歩けることができない 「恥ずかしいのだ」
そんな私を見て、立ち止まった年上の人
「上瀧さんは会社で、ジョーさんと呼ばれているでしょう」
私 「ハイ、皆、そう呼んでくれます」
年上の人「では私は貴方を、どう言ったらいいのかしら」 「ハァー」と、答えにならない。
黙っていたら「貴方は恥ずかしがり屋さんね」と言って、私の腕を優しく握って歩き始めた。
それで再び心臓がゴクン、ゴクンと鳴るのが自分で分かるのだ。
若い女の人と二人で歩くのは、凄く恥ずかしい事などだが、この人は僕の気持ち、分かっているのか、と想うほど肩を寄せてくれる。
広い電車道りは、現在使われてないレールが、まだ残っており、その先に丸柏デパートがある。
吉田印刷所は、このデパートのチラシとかポスター、商品券などの印刷を、ほとんどしている。
その中に入り、食品売り場で、出来たての甘いパンを5つほど買った年上の人。
年上の人「私ね、すごく美味しいお店知ってるの。定食のお店だけど、行かない?」
私 「ハァー」と、少しためらって、
私 「ついて行きます」
年上の人「そのお店ね、勤めている院長先生が時々みんなを連れて、ご馳走してくれるお店なの」
その店は、丸柏デパートを出て、その隣りが若松信用金庫、この銀行も吉田印刷所が、印刷物を届けるところで、ときどき配達の応援で来るところ。その銀行の向かい側の細い路地に入ると、「赤提灯」というお店に入った。
そして、入ってすぐの横に大きなイケスがあり、ハマチ、タイ、ヒラメ、イシダイ、アラまで泳いでいる。このイケスの魚を掬い上げ、すぐに刺身を作る割烹料亭と知られている若松では有名なところだ。入ってすぐ、店の支配人が二人を確認し、タイコをドン、ドンと叩く。
2名だと二回、5名入ると五回タイコが鳴ることで、すぐに仲居さんが、お冷と温かいタオルを出してくれるのだが、私達は奥の4人用のテーブルに通され、向かい合って座った。
畳敷きの分厚い座布団に座ると、早速「ジョーさん、何がお好み?」と聞いてくれたので
私 「同じもので」と答えたら、すぐに仲居さんがやって来て、注文する年上の人。
その仕草を一つずつ確かめながら、こんな人と結婚できたら凄く幸福な家庭ができる、そう想わせるぐらい、優しそうな女性と想った。
そして、その女性が聞く「小倉から毎日通勤しているのでしょう?」
私 「ときどき残業とかで会社に泊まることが結構多いのです」
年上の人「そうなの小倉の街、この間、貴方と井筒屋に行ったでしょう。あの時が始めてなの」
年上の人「もうすぐ夏祭りの小倉祇園があるでしょう」 「ハァ、そうです」
年上の人「貴方はお祭りのとき、何かするの?」
私 「子供のとき、祇園の綱を引っ張ったことがあります」
年上の人「そうなの、楽しそうね」
私 「その前に戸畑提灯山笠があります」
年上の人「そうね、すぐ近くだから行きたいんだけど、まだ一度もないの。貴方は行くの?」
私 「ハァ、昨年、会社の先輩が案内してくれて、凄かったです」
年上の人「そう、会社のお友達がたくさんいて楽しそう」と、チョット淋しげ。
でもすぐに注文した天プラ刺し身定食が運ばれ、すごく豪華。そして年上の人が「本当は、お酒とかビールを付けたら良いのでしょうが、貴方はまだ20才になってないでしょう?」
私 「ハァ、今年、成人式を迎えました」
年上の人「そうなの、おめでとう。それなら注文して上げようか?」
私 「イエ、僕はお酒ダメなんです」
年上の人「そうなの、私もお酒は飲めないのよ。それならお冷でカンパイしましょう」
「成人式おめでとう」と、年上の人から言われた初めてのデート。それも凄く奇麗な女性と。
しかも今、こうして二人っきりで食事をしている。
上手に食べないと恥ずかしい気持ちで、いつもよりゆっくり食べる私。
そして年上の人が話してくれる。
年上の人「この間、弟にプラモデル買ったでしょう」「あの戦車だっけ、ラジコンで動くの」
弘くんはね、一日で作り学校の寮で皆と遊んでいるそうなの。それでね、もう一台贈れと言うのよ」
年上の人「戦車はね、戦う相手があってこそ戦車とか、言うのよね」
年上の人「貴方は確か、戦艦大和の船でしょう」
私 「ハイ、乾電池でスクリューが回り動くのです」
年上の人「それで水に浮かべて走るの?」
私 「動くのですけど、家のタライに浮かべて少ししか走れないのです。それで川とか池で走らせる友達もいるのですが、それが池の真ん中で止まったり、変な方向に行って回収できないことが多いので、僕は、しません」
年上の人「そうなの」
私 「だから戦車の方がイイです」
年上の人「良かった、貴方が選んでくれたので嬉しそう、だったわ」
年上の人「先程、レコード店で西郷輝彦さんのレコードを探していたでしょう?」 「ハイ」
年上の人「今ね、若松東映で「十七才のこの胸に」という映画が上映されてるの、今度、行かない?」年上の人から再びデートの申込みをもらった私、それに今、ワサビのきいたブリの刺し身を食べて鼻が真っ赤になっている。
頭の中が整理できないので、水をゴックンして気持ちを落ち着け、目の前で私の返事を期待している優しい女性がジーッと見つめる。
薄化粧しているが、ほとんど素顔。
口紅だけは淡いピンク色で、ロングヘアーには濃い紅色のヘアー止メを付けているので顔立ちがハッキリ見え、二重瞼が、より瞳を大きくして凄く美しい。
今、女性人気一番の「本間千代子」に似て、今度見に行くかも知れない西郷輝彦の相手役の女性なのだ。そのような人が今、私と一緒に食事をして、次は映画に行こうと誘ってくれるから信じがたい。箸を握ってはいるが、次の動作が出来ない私を見て
年上の人「このお魚、イケスで泳いでた魚かしら?」と、はぐらかしてくれた。
私 「先週の日曜日、会社の先輩と釣りに行って、イケスで泳いでいるメジナを釣ったんです」
年上の人「貴方、釣りをするの?」
私 「ハイ、ときどき課長や先輩達に連れられ、山陰とか、すぐ近くの若松にも行くのです」
年上の人「そうなの、それで貴方が釣りをすると聞いたわ。ほら、会社の池田さんが言っていたの」
私 「趣味は釣りぐらいで、ほとんど家で寝ています」「あのーぅ僕、映画の話し、行きます」
年上の人「嬉しい、いつ行けるの?」
私 「明日、あいています」
年上の人「明日の休み、どうしようかと想っていたの。いいの?」
私 「ハイ、私も暇ですから凄く嬉しいです」と、話がまとまり、もうウキウキして、すごく食事が進んだ。一時間ほどして店を出ると、今日はスモッグなし、満天の星空がチカチカ輝いていて、狭い路地通りも、赤い提灯をたくさん下げ、すごく賑やかしい人通りがあった。
そして年上の人が住む高塔山方向が一緒の、若松ロータリーのバス亭まで一緒に歩いた。
すると、側の「宋寿司店」から出てきた酔っ払いが「上瀧やないか」と、声をかけられた。
良く見ると萩原の親父だ。
隣りに空閑課長がいて「お前の彼女か、紹介せい」と言うと、
年上の人が「私、芳野病院に勤める中野と申します。上瀧さんは、私の弟の友達で私はその姉です。こんばんは」と言ってくれて、半分納得した二人。それで、すぐに、ここから逃げた。
「アー、びっくりした」と私。
「それで逃げたの?」と、年上の人。
クス、クス笑ってくれた、その笑顔は始めて見る笑顔だった。年上の人は、この国道を渡ったすぐのアパートで、同じ病院の看護婦さんもいるそうなので、ここでお別れした。
私は、そばのバス停から小倉行のバスがすぐに来たので、そのバス停から「さようなら」が言えた。
次の日の日曜日、約束していた12時に若松東映に行くと、あの女性が玄関ホールで待っていた。
今日の私のファッションは紺色のスラックスに淡いブルー色のカッターシャツとし、少し格好つけたつもり。
その私を見て「おはよう」と声をかけてくれる美しい年上の人は、淡いクリーム色のブラウスに、フレアーのついた白いスカート。そして白い靴。ロングヘアーには白い大きなリボンを付け、まるで何処かのお嬢様ファッションだった。
そんな人から「お昼は済ましたの?」と聞かれて「ハイ、済みました」
年上の人「そうなの、ここの映画館、始めて?」
私 「ハイ、若松で始めて来る映画館です」
年上の人「私は時々来るのよ。でもね、小倉と違って、あまり好きになれないかも?」
その意味が分からない私だったが、中に入ると少し酒臭いし、イスは硬いので、かなり古い映画館だった。それでも日曜日なので、若いカップルが多い。
しかも人気の西郷輝彦と舟木和夫がでる「高校三年生」の映画も同時上映されるので、子供達も、かなり入っている。
私達は、年上の人がリードする後ろの端の席に座った。真ん中の席より端の方が、人込みを避け、ゆっくり鑑賞できる、そう考えたと想う。
そして二人並んで座れるイスも少し狭く、年上の人の膝がくっつき合うと、なぜかドキンとする私。映画が始まり、西郷輝彦の「君だけを」が始まる名曲が、いきなり流れて、凄く素敵だ。
相手方の本間千代子は、年上の人だが、映画の中では西郷輝彦と同じ学生服を着て、活発な女の子として恋をしている。その本間千代子と、そっくりな人が、私の隣に座り、今、映画を見ている。その横顔を、ときどきチラッと見て、胸が更にときめく私がいた。
そしてラストシーンでも西郷輝彦の名曲が流れ、初恋のむなしさとか、叶わなかったストーリーを、感じて、少しエキサイトしている私がいた。
隣りに座っている年上の人も、頬を赤く染め、大きな二重瞼が潤んでいた。
次の舟木和夫の「高校三年生」は学園ドラマで、勇気づける歌詞は、高校の修学旅行で三回も皆と一緒に唄った歌だったので、いつしか、その映画に入り込み、私の青春時代を想いおこしてくれた。
そんな映画を観て外に出ると、すごく眩しい太陽が西に沈みかけていた。
年上の人が「私が誘ったのだからお食事しましょう」と言って無理やり、人ごみの多い丸柏デパート4階に上がった。ガラス越しに外が見えるレストランに座り
年上の人「今日は貴方が決めて」
私 「僕ですか?」
年上の人「そう貴方、ジョーさん」
ジョーさんと言われると、なぜか気分が落ち着く変な感じ。そして「お姉さんから言われると、会社の人みたい」と言うと
年上の人「そうでしょう」
年上の人「池田のお姉さんがね、ときどき病院に来るでしょう。その時に貴方のこと聞くの。そしたら、ジョーさんはね、といつも言うのよ」
少し恥ずかしい気持ちになっていると、それで「今日は君のおごりだ」と、年上の人が言う。
もちろんOKだが、高いステーキなど注文できないので、一番食べやすいハンバーグ定食を二つ注文した。 洋食なのでフォークとナイフが必要だけど、先月、会社の先輩、中西さんと、ここでハンバーグ定食を、おごってもらったとき、ナイフと、フォークの使い方を教えてもらったので、今日は、もう一度おさらいができると想ったからだ。
そして先にコーンスープが来て、スプーンですくって飲む。
すると年上の人が「すごく美味しいわ、こんなの始めて」とニコニコしている。
そしてメインの大きなハンバーグ、牛肉のミンチがたくさん入り、丸柏デパートの、最も売れ筋の定番ランチの人気メニューだ。
これと皿についだ、ご飯と一緒に、箸を使わないで食べるのだ。
フォークとナイフを上手に使って、ご飯をフォークに乗せ食べる。
ハンバーグも一口サイズに切ってから食べるので、けっこう時間がかかる。
それをパクパク私が食べるので
年上の人「ジョーさん、上手ね」
私 「イエ、この前、先輩から教えてもらったのです、ここで」
年上の人「そうなの、貴方はたくさんの人から好かれているのね」 「私も貴方が好きよ」と、続けて言った言葉に、あんまり、好きという言葉を意識できてなかった。
多分、そんなつもりの「好き」でなくて、弟のように感じる「好き」の言葉と、すぐに分かった。
そんなボソボソのお話しが続いていると、後ろから、
「上瀧やないかァー」と声がかかった。
機械場先輩の荒木さんファミリーが、そこにいた。
奥様がニコニコして「こんばんは」
「ハァ、こんばんは」と挨拶して、そばに男の子三人、こちらを見ている。
荒木さんファミリーは、ここでお食事会をするそうで、夫婦してニコニコし、向こうの席に座った。
「昨日も、今日も、会ったわね、会社の人と」と、年上の人。
社員が200人もいる会社の人達が、この街の何処かで会うのは当然かもね、と、そのようなお話しだが、私は明日、会社で、みんなから絶対冷やかされると想った。
私 「ところで僕、前から聞きたいことがあったのですが、聞いてもイイですか?」
年上の人「いいわよ」
「アノー」と、「チョット言いにくいのですが」、少し間を開けて、ハラをくくって言った。
私 「ときどき若戸大橋の上で会うことがあるので、どうして、あそこに来るのですか」
年上の人、しばらく考えて「仕事とか親のことを考えるとき、あそこでボーッと一人でいるときが、凄く好きなの。それに若松の街とか海が見えるでしょう」
私 「そうですか」と、少し納得。でもチョット違うような気がする。でもイイカァー、そう想っていると、年上の人「もうすぐ戸畑の提灯山笠祭りがあるのね」 「ア、そうです」
年上の人「すごく楽しそうだわ。若松の祭りも」 「そうですね」と私。
少しウットリしている顔がライトに反射して、淋しそうな顔が、少し見えたような気がした。 それでも、すぐに笑顔になって「ランチの次は何が出るの?」と、年上の人。
私 「それで、コーヒーですか」 「OKょ」と年上の人。
二つ注文して、苦いコヒーに、シュガーが一つ、ミルクカップもついていた。
そのコヒーに甘いものを全て入れた、すると、
年上の人「私はそのまま飲むのが好きだから、私のミルクとシュガー入れてあげようか」え、「そうなんですかー」、と言ったら、わざわざ私のコヒーの中に入れてくれた。それでカフェオレになった、美味しい甘いコヒー。
凄く美味しかった。そして、美しい女性と向き合って飲めるコーヒータイムは、もう最高として、小さく手を合わせ「ごちそうさまでした」と言えた。
今日は、お嬢様ファッションしてくれた年上の人が、凄くオシャレし、しかも僕の左腕を柔らかく組んで丸柏デパートを出るころは、午後8時になっていた。
ネオンが奇麗な若松の街を始めて見た私だった。
毎日残業が続く会社で、今日も泊まり込み、家に帰れない木曜日。
三階の平版製版課、課長の、渡辺さんが言う 「ジョーさん、もしかしたら今度の日曜日、出勤かも知れんゾ、覚悟しといてクレ」と言われた。
その話しを聞いた矢島先輩「ウソー、オレ会社やめる」
すると、迫、大先輩が「お前は会社に必要のない人間ヤケ、ヤメテケレ」と激を飛ばす。
すると、版焼きをしている中西先輩が「ボクもヤメたい、迫さんヤメさして下さい」
すると渡辺課長「矢島はヤメてイイが、中西さん、貴方はダメ」すごイ、エコひいきする発言したので、矢島先輩が「ウソー」とか言いながら、渡辺課長の肩をモミモミしはじめた。
課長いわく「そこんとこ、もうチョット下、そうモット下、力入れて優しくモンで」と、
調子乗って迫、大先輩「矢島、オレの肩もモンでケレ」
「マッサージ10分、千円よ」と矢島。
中西先輩は「昨日から22時間、寝てない、もう死にそう」とか言って、
「ジョーさん、版焼き15版、みんな現像して、ゴム引きして」で、私をコキ使う。
私だって22時間ブッ通しの深夜残業しているのだ。
みんな赤い目、真っ黒い瞼、最悪の状況が続いているのだが、さすがに私とか中西先輩には全く疲れ目がなさそうで、みんなしてアレコレ、こき使うのだ。
しかし仕事をしながら多くを学び、教えてもらいながら、やっと技術者になってゆく分けだから、若者をいかに上手に使うかは課長の腕の見せ所で、入社3年目の私を「ジョーさん」と呼んで、優しく仕事を教えてくれる先輩達。
ジョーさんというニックネームをつけてくれたのは迫、大先輩。いかに、この職場で頼りにされ、可愛がってもらっているか、を、感じながら、必死で仕事している私だった。
そして運命の月曜日。
昼前に訓示があるということで、全員、社員食堂に集合すると、吉田正人社長の話しが始まる。
「みんなが良くガンバッているので、今年の夏のボーナスは2ヶ月分支給する。忙しいが、ガンバッてほしい」と嬉しい話し。
そして、その後に紹介されたのが麻生太郎大議士だった。
まだ30代の若さでガッコイイ方「もうすぐ衆議議員選挙があるので、ぜひ投票して下さい」とのご挨拶。最後に麻生太郎さんと握手しながら、今日の訓示は終了。
職場に戻ると、早速ボーナスの話しで全員ヤル気マンマンだ。
仕事に気合いを入れて頑張る矢島先輩に、中西先輩が「その仕事、オレのヤン」とか言って奪い取り、迫さんは私にアレ、コレ提示して、職場はテンテコ舞いだ。
渡辺課長が「こんなに仕事ができるなら、今日は残業なし」とかのジョークも、でていると、
中西先輩が「熊本、大洋デパートのA全チラシの原稿が今日入るョー、課長」
渡辺課長 「そうか忘れとった、それなら今日は徹夜です」と、みんなに訓示し、
「アァ…今日もまた徹夜か」と矢島先輩。
すると、迫、大先輩が「夜食のカレーパン、差し入れやるケ、オレの分、頑張ってくレー」と言うと、早速、矢島先輩「オレ三つ」中西さん「オレ五つ」
みんなから30コ以上注文受け「さっきの話し、ナシ」と迫さんで、
もう課内はメチャクチャ、大騒ぎしながらの仕事。
そして、黙って聞いているだけの私。
そのことで、「マイペースで仕事をこなしている姿が美しい」と中西先輩で、
「チヤホヤおだてたら仕事するのョねェー」と、迫さん等々が、すぐにイヤミを言う。
そんなとき中谷先輩が「夕方はオレ家でメシ食べんか、カレーライスだぞー」と誘ってくれた。
すると独身の中西、矢島も「オレもイイ」とかになり、結局この話し、ナシになってしまった。
そのような若者集団が多い、三階の平版製版課は、チームワークが最高で、社長や専務から特別扱いされる人気の職場。
その事で、泊まりの作業が続き、今週末は、とうとう家に帰れなかった。
次の週、やっと定時で終わった水曜日の夕方、いつもの駄菓子屋、真浄で冷たいコーヒーミルク牛乳を飲みほし、200m先の橋台エレベーターに乗り、外に出ると涼しい風があり、汗を吹き飛ばしてくれる。 午後18時8分の門司港行きのバスを待っていると、いつの間に来たのか、
後ろから、あの年上の人、中野さんが「こんにちは」
驚いた私だったが、
私 「ア、こんにちは」の簡単なメッセージだけ送って、やや照れくさい私。
年上の人「お久しぶりね」
私 「ハイ、仕事が忙しくて10日ぶりの定時でした」
年上の人「そうなの、私は今から小倉に行くのだけど一緒していいかしら?」
私 「門司行きのバスを待っているので一緒に行けます」
年上の人「今日、おひま?」
私 「ハイ、久しぶりの定時ですから魚町銀天街で本を買う予定です」
年上の人「私、一緒について行って、いい?」
私 「でも小倉の用事でしょう」
年上の人「弟がね、又、プラモデルほしいので贈って、とか言うので、何しようかと決めかねているの」「でもね、その事は、いつでもイイの、貴方の行くところ教えて」
私 「それはイイですけど、おもしろくないですよ」
年上の人「イイのよ、貴方はおもしろくなくても、私は楽しいわ」
カタコトの単語しか話せない私だが、アッという間にバスが来て、一緒に乗車。
今日は平日だけに、始発のバスには、人がほとんど乗ってない。前の方の二人席に私が座り、年上の人が横に座る。すると又、ドキドキ心臓の鼓動が手まで伝わってきて、緊張しているボクが分かる。
年上の人が「若戸大橋から見える景色、奇麗ね」とかの言葉を聞きながら、戸畑橋台で10人ほどの観光客を乗せ、再び発車。乗ってくる観光客の視線が、前席で座っている私達に寄せられ、又々顔が赤くなるというより、恥ずかしい。
戸畑幸町から中原、小倉高校前で、たくさんの学生を乗せると、もうバスの中は超満員になってしまった、夕方のラッシュー、その中で女子高校生の視線が、みんな私達に向けられていそうで、又々恥ずかしい。
それに、バスが大きくカーブを切ると、車体が右、左に揺れ、その度に年上の人の温かい身体が服を通して伝わり、もぅ恥ずかしい、でも嬉しい幸福?イヤ、女性を感じているのかも知れない。
しかし女性というよりは、お姉さんって感じを、まず言葉で感じているから、案外と素直になれる自分があり、何となく話しができるのは、意外とオレ、女性に強いかも?、と、自己暗示している私。
そして、魚町でバスを降り、いきなり年上の人が腕をつかんで離さない。
それは、たくさんの人々が行き交う場所だけに、シッカリそばに付いていないと、すぐに人から割り込み、させられるからで、年上の人は、肩が触れ合うぐらい寄り添ってくれ、すごく嬉しい。
人ごみの波にのまれ、押されて、魚町銀天街に入ると、その波は更に激しくなり、ピッタリ寄り添っている年上の人。
そして、いつの間にか、腕から私の手を握るようになり、私はすごく恥ずかしい。
でも嬉しい。 ときどき人から押されて、年上の人がヨロッとするとき、その手を強く握るので、優しい手が力強くなったり、天使の手になったりしているのを感じる。
そして、やっとナガリ書店に着いた。
小倉魚町で一番人気の本屋さんで、今日は学校帰りの若者が多く入っており、人気の遠藤周作コーナーは、さすがに人が多く、本の前に行けない。
それで私は、あることに気づいた。プラモデル作りに欠かせない本だ。戦車とか軍艦、航空機をイメージする本で、ときどき買ってくる「丸」をプレゼントする気になった。
月刊雑誌コーナーには、趣味別に整理されており、その中で毎月発行されている「丸」を買った。
すると、年上の人「貴方はこの本、読んでいるの?」
私 「ときどき買ってます」
年上の人「そうなの、それで、どんな趣味?」
私 「プラモデルの中でも戦艦とか飛行機を作るとき、本物の色とか型を紹介している本なので、この本を見ると、イイ仕上げが出来るのです」
年上の人「そうなの、すごく立派なプラモデル、たくさん作っているのね」
私 「イエ、小さいものが多くあるだけです」
年上の人「そのような絵を描くこと、あるの?」
私 「ハイ、漫画本みて書くのですが、上手でなくて今はしていません」
年上の人「そうなのね、それと後、どんな本、買うの?」
私 「エーと、今日は恥ずかしいので、この本だけです」。
私は、この本を年上の人、中野さんの弟さんにプレゼントする気持ちで買ったのだが、女性に贈り物をする事など生まれて始めて。
それで、どういうふうに、この本を年上の人にあげたらイイのか迷っている。 それにレジで精算するとき、この本、プレゼント用に包装してくれるのか不安。
でも買うことに決めた以上、絶対に贈る。そんな強い気持ちで、レジに持って行き会計。
そして 「この本、友達にプレゼントするので特別な袋に入れて下さい」
そばで聞いている年上の人 「? 変」
すると、可愛いブックカバーまで付け、子供用のヒモ付きバックに入れてくれた。「ありがとう」
そして、ナガリ書店を出て、広い交差点に出る。
正面は旦過市場で、美味しいものが、たくさんある、お店とか新鮮な野菜、魚があり、正面の右側は北九州市、発祥の地と言われる、珍しい丸和というスーパーマーケットがある。
それで私「アノー、旦過市場でタコ焼き食べませんか」
年上の人「美味しそう、頂くわ」
すぐに年上の人が、なぜかしら、人が多くもないのに空いた右手を握ってくれて横断歩道を歩く。
正面の左側に目指すタコ焼き屋があり、
店の中で食べられるテーブルが三つしかない小さな店なのだ。
それでも二パック注文していると、年上の人が「私は冷たいオレンジジュース買うので、貴方は何がイイ?」 「ハイ、オレンジジュース」でいいです。
それで特別に用意してくれた、二人掛けのテーブルに向い合せて座った。
小さなテーブルなので、年上の人の顔がマジマジ見られるのだが、そんな余裕などなく、いつも下向きかげんの私。
そんなとき年上の人が「貴方ここに良く来るの?」
私 「学生ときに数度。でも旦過市場には母とか祖母が良く来ていたので、子供のときから良く知っています」
年上の人「そうなの、本当の小倉っ子なのね」
私 「イエ、そうでもないです。ときどきですから」
年上の人「住んでいるところは小倉でしょう?」
私 「ハイ、魚町から電車に乗って6つぐらい先の片野というところで降り、20分ほど歩いたところに住んでいます」
年上の人「小倉って広いのね。若松に勤めているでしょう。その間に戸畑の街があり小倉から門司、それに八幡という街もあって、北九州市は広くて賑やか、凄いわ」
年上の人「貴方と会っていると、たくさんのこと知るの。私、沖縄から来たでしょう、あまり知らないの」
そんなとき、熱々の大きなタコ焼き6コが皿に入り、テーブルに置かれた。
甘いソースがタップリに、白いマヨネーズが二重にかけられ、その上に粉末の青ノリが掛かっている小倉では有名な大タコ焼き。
割りバシで半分に切ると、中からデッカイタコが出てきて美味しそうだ。
それより年上の人が、どんな食べ方で頂くのか見たいので、下目線でチラチラ年上の人の顔を見る。イヤ、そんな事したらイケない。でも見たい。美しい人だから、よけいに見たい。
正直、まだ年上の人の顔をハッキリ見た事ないのだ。
いつも、遠くから良く見るのに、なぜ今、見ないのか不思議な気持ち。
やっぱし恥ずかしい、美しいからよけいに。
でも優しく会話してくれるから、それだけでも十分嬉しい、それに楽しい。
今でもハートの中では興奮している、燃えていると想っている。
すると、年上の人は上手にハシを使い、小さく切って口に入れる。
一つのタコ焼きを5回ぐらいで口に入れている。
私は2回でパクパク。大きなタコが口の中で結構粘り強く残っているが、これをジュースでサラーと流してしまうと、すぐに次のタコ焼きにハシが入り6つのタコ焼きが意外と早く終わる。
年上の人は上品なのかも知れないが、ゆっくり優しくハシが進んでいるようで、
まだ半分も残っている感じ。そして
年上の人「貴方、タコ好き?」
私 「ハイ、大好きです」
年上の人「それなら私のタコ食べてくれる」
私 「エーッ」でもイイです。
年上の人「私ね、先週から栄寿司の、お店そばに木村歯科に通っているのね」 「ハイ」と私。
年上の人「奥に親知らず、があるので取ってもらったの」、「分かる」
私 「ハイ分かります。すいませんタコ焼きで…」
年上の人「イイエ、私、タコ焼き、ときどき若松の大正町商店街で買って食べているのよ」
私 「そんなら頂きます」とかで
年上の人が、大きなタコ焼きを3つも皿に入れてくれた。そのタコ焼きを一気に食べつくし、冷たいオレンジジュースを飲みほし、先程買った本「丸」を年上の人に、
私 「アノーこれ、弟さんにプレゼントです」
年上の人「エッ、私でイイの?」と驚いた様子の年上の人。
私 「いつも頂いたりしているので、お礼です」
年上の人「私、何も貴方にして上げていません。貴方こそ、いつもたくさんお世話になって、お礼もしていませんのに」
私 「この本は、プラモデル作りの人が多く読んいますから、ぜひ読んでほしい本です」
年上の人「貴方はエライわ、そして優しい。想ってくれてありがとう」
私 「イェ、そんなァ」で、 年上の人が改めて私の顔をジックリ観察するように見つめるので、すぐに恥ずかしくなり顔が赤くなったようで、より恥ずかしい。
それでも、このとき、やっと年上の人の顔がハッキリ見られ、女優の吉永小百合さんのような丸い顔立ちで、目が二重で、黒い瞳が何故かしら優しいお姉さんのようだった。
ジロジロ見つめられ、もう顔が下向きになってしまった私。
食事が終わり、プレゼントを渡したことでヤッと「ホッ」とした私。すると
年上の人「次、何処行くの」
私 「アー、決めてませんけど」
年上の人「もう少し一緒に、いてもいい?」
私 「大丈夫ですけど」
年上の人「この間、井筒屋にいったでしょう、あのときお城が見えたのだけど行けるかしら」
私 「ハイ、行けますけど、夕方5時を過ぎると閉まるので中には入れません」
「でも、城の周りの公園とか散歩できます」
年上の人「素敵、ぜひ案内してほしいナァ」
私 「ハイ、案内できます」
店を出ると夕日が落ちて、もうすぐ暗くなる午後8時前、商店街とかのネオンが多くあり、紫川を渡って続く国道からの正面に小倉城が見える。
年上の人「小倉の街は凄いわ。明るい、ここにも、ここにも外灯があるわ」
と一つ一つの街並を、ゆっくりゆっくり歩く。
その景観を楽しんでいることを確認して、少し間を空けて歩く私。
今は手を繋げてないし自由に歩けることで年上の人は、大きな橋からカモ、水鳥を見つけている。
やがて月明かりとなり、ライトアップする小倉城が近づいてくると、大きな石垣に堀、坂道を登りながら、ゆっくり、ゆっくり散歩できている姉のような年上の人。
しかし私を見て、とても姉弟とは想ってはくれないだろうし、行きかうアベックは、みんな奇麗な年上の人を見ていると、私は想っている。
今日の年上の人のファッションは、白いワンピースに、白い靴、長い髪を後ろに結ぶポニーテールして、小さな白いリボンで結んだ、爽やかで清楚な優しい女性に観えた。
でも、吉永小百合のイメージが強く、大人の女性を感じる私だった。
それに比べて私のファッションは、相変わらず通勤着の白シャツに紺色のスラックス、運動靴が定番で、まだ学生のようにも見えるかも。
その、お人形さんのような年上の人が、ライトアップされた城の前でポーズをとるようにして「ジョーさん」と言ってくれてドキンとした。
年上の人「カメラがあったらイイナァー」
私 「ハイ、残念です」
年上の人「吉田印刷所に勤めていたら、カメラとか詳しいでしょう」
私 「イェ、そうでもないです。カメラはシャッターを切る、だけにしていますから」
年上の人「そうなのね、私、若松に来て写真撮ったことなくて集合写真が三枚ぐらいあるだけなの」
年上の人「それでね、沖縄に住む親が、写真ぐらい送れと、いつも怒られるの」
私 「今度、カメラ撮ります」
年上の人「嬉しい、きっと撮ってね」 私「ハイ」
その小倉城の松林を抜けて、八坂神社境内に出ると、大きな鳥居があり、正面の神社前には鈴の付いたガンカケが5本もあり、早速、
年上の人が「お城の神様なら、お願いを聞いてくれそうね」
私 「ハイ、八坂神社の神様は幸運をもたらす神として有名です。ボクも賽銭入れます」
チャリンして、鈴を鳴らし二礼二拍、一礼する。
その間、しばらく手を合わせ、お願いの黙とう。私は、たったの5秒。
年上の人は優しく目を閉じ、その横顔をジックリ見る時間があり、すごく美しい、そう想った。
その瞬間、年上の人と私の目が合い、ニコッと笑う自然な笑顔。
私はポーッと、また、顔が赤く染まったことを感じ、すぐにうつむいてしまう悪いクセ。
それでも年上の人が 「ジョーさん、どんなことお祈りしたの」
私 「ハイ、何となく神様に手を合わせるだけです」
年上の人「それはダメですよ、何かあるでしょう、イイ事が?」
私 「イイ事を、お祈りするのですか」
年上の人「そうですよ、楽しいこと今からしたいことをお願いすると神様はきっと応えてくれます」
私 「今度から考えて手を合わせます」
年上の人「ジョーさんは賢い、のねェ、すぐに分かってくれて」
私 「恥ずかしいです」 大きな社門を出ると、電車通りがすぐ。
「ここは何処に行けるの?」と、年上の人。
私 「ハイ、日豊線の小倉西駅の近くです」
年上の人「私、分らない」
私 「ハイ、バス停まで送りますから
年上の人「もっと案内してほしいとこ、たくさんあるのだけど、遅くなったから貴方のお母さんに怒られるから、又、小倉を案内してね」
私 「ハイ、いつでも案内できます」
私 「近くに若松行きのバス停が玉屋デパート前にありますから、そのバス停、教えますけどイイですか。私は先程、魚町バス停で降りたところから先の小倉駅前から私はバスに乗ります」
年上の人「そこから若松行きの便あるの?」
私 「ハイ、それなら先ほど降りたバス停の反対側から乗るのです」
年上の人「私、もう少し貴方と散歩したいの、イイかしら?」
私 「ハイ、嬉しいです」
マイファミリー「年上の人」2 続く
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